富士川の戦い(読み)フジカワノタタカイ

デジタル大辞泉 「富士川の戦い」の意味・読み・例文・類語

ふじかわ‐の‐たたかい〔ふじかは‐たたかひ〕【富士川の戦い】

治承4年(1180)源頼朝の軍と、追討のため京都から下向した平維盛たいらのこれもりらの軍が、富士川を挟んで行った合戦平氏軍は水鳥羽音を敵の襲来と誤認して敗走したという。

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精選版 日本国語大辞典 「富士川の戦い」の意味・読み・例文・類語

ふじがわ【富士川】 の 戦(たたか)

  1. 治承四年(一一八〇)一〇月、源頼朝の軍と平維盛忠度・知度らの軍が、富士川をはさんで行なった合戦。平氏軍は沼の水鳥の飛び立った羽音を敵の襲来と誤認して敗走したという。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「富士川の戦い」の意味・わかりやすい解説

富士川の戦い
ふじがわのたたかい

駿河(するが)国富士川の河口付近で行われた源平の合戦。東国源氏反乱を鎮圧するために下向した平維盛(これもり)を総大将とする平氏の遠征軍は、1180年(治承4)10月18日富士川西岸に布陣、片や源頼朝(よりとも)は、20日富士川近くの賀島(かしま)(静岡県富士市)まで兵を西進させた。しかしこの戦いの主導権は、すでに14日に富士山西麓(せいろく)の鉢田(はちだ)(静岡県富士宮(ふじのみや)市北部?)に駿遠(すんえん)両国の平氏方現地連合軍を撃破していた甲斐(かい)源氏の手中にあった。甲斐源氏の一族武田信義(たけだのぶよし)の軍勢が、20日夜半、遠征軍の背後に進出しようとしたところ、これに驚いて飛び立った水鳥の羽音を大軍来襲と誤認した平氏軍は総崩れとなって壊走したという。この勝利により、東国における源氏の優位が確立した。

[杉橋隆夫]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「富士川の戦い」の意味・わかりやすい解説

富士川の戦い
ふじかわのたたかい

治承4(1180)年10月20日富士川下流の現在の富士市にあたる岸で行なわれた源平合戦(→治承の内乱)の一つ。源頼朝征討のために京都から東進した平維盛を将とする平氏軍と,鎌倉から西進した頼朝の軍勢とが戦った。平氏軍は水鳥の羽音を敵の大部隊の襲来と誤認して逃走したと伝えられる。頼朝はこの勝利によって,以後根拠地関東の支配を固める余裕を得た。

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旺文社日本史事典 三訂版 「富士川の戦い」の解説

富士川の戦い
ふじがわのたたかい

平安末期,富士川をはさんで行われた源平合戦
1180年,伊豆から駿河に兵を進めた源頼朝の軍と,頼朝追討のために東海道を下った平維盛 (これもり) ・忠度 (ただのり) ・知度 (とものり) らの軍とが富士川をはさんで対陣。10月20日夜半,平氏軍の後面から襲おうとして甲斐の武田信義の軍が進出したため,富士沼の水鳥が飛び立ち,その羽音に驚いた平氏軍はちりぢりになり,戦わずして退却した。

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