沼沢村(読み)ぬまざわむら

日本歴史地名大系 「沼沢村」の解説

沼沢村
ぬまざわむら

[現在地名]金山町沼沢

沼沢湖の南東岸に位置し、伊北いほう街道に沿う駅所で、村の内から水沼みずぬま村に至る道を分岐する。「異本塔寺長帳」享禄四年(一五三一)条に「今年山内権大輔俊安並子彦次郎俊興沼沢ニ築城名丸山城」とある。丸山まるやま城跡は村の南高森たかもり山の中腹尾根筋に、本丸・二の丸・虎口・空堀・土塁・帯郭跡を残す天険要害で、一二〇貫文を領する沼沢山内氏の持城であったという。沼沢山内氏は「横田城主山内氏の支族沼沢出雲実通と云者」といわれ(新編会津風土記)、天正一三年(一五八五)関柴備中が伊達政宗に内応して蘆名氏に背いたとき備中を討取り、同一七年磨上原の戦で敗れた蘆名義広に従って常陸の佐竹氏領へ赴いたという。


沼沢村
ぬまのさわむら

[現在地名]三春町沼沢

鷹巣たかなす村の南、斎藤さいとう村の北西にあり、江戸への参勤道(県道須賀川―三春線)に沿う。地元では「のまんさ」とよぶ。永禄四年(一五六一)六月二三日の熊野山新宮年貢帳(仙道田村荘史)では「ぬまのさわ」、天正一四年(一五八六)一〇月一三日の熊野山新宮年貢帳(青山文書)では「沼之沢」と記し、紀州熊野新宮へ式田一町・年貢六〇〇文を上納。慶安二年(一六四九)の三春領古城絵図(三春町史)に、たての沼沢館を載せ、城主は沼沢孫兵衛で、本丸は「三十五間 十間」、二の丸は「五間 十一間」「根廻り四百間 高サ拾間」と記す。


沼沢村
ぬまざわむら

[現在地名]小国町沼沢

白子沢しらこざわ村の北に位置する。よこ川支流明沢みようざわ川流域に明沢、明沢川支流間瀬まぜ川とさくら川の合流点付近に沼沢、間瀬川上流域に間瀬などの集落が散在する。越後街道宿駅で、宇津うつ峠越で(現飯豊町)より当村に入った同街道は西進して間瀬川沿いに同川を幾度か渡り返し、問屋のある沼沢を経て桜川沿いにのぼりさいかみ峠を越えて白子沢村に抜ける。


沼沢村
ぬまざわむら

[現在地名]東根市沼沢

みだれ川支流の沼沢川に沿う山間にある。東に「当村奥山ニ御座候用水ニ相成申候」(天明八年「村明細帳」奥山文書)という沼沢沼があり、村名の起源となった。さらに山を隔てて陸奥国となる。北西は野川のがわ村、南は大畑おおはた山・松倉まつくら山を隔てて猪野沢いのさわ村。最上氏領から元和八年(一六二二)山形藩領、寛文八年(一六六八)下野宇都宮藩領、天和元年(一六八一)陸奥白河藩領、寛保元年(一七四一)幕府領、安政二年(一八五五)以降松前藩領。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

世界大百科事典(旧版)内の沼沢村の言及

【集落】より

…マイツェンはゲルマン人の集落と考えた。(2)沼沢村Marschhufendorf オランダの沼沢地にみられ,排水のために等間隔の運河を設け,それに沿って家屋とその背後に細長い耕地をもつ。(3)孤立荘宅Einzelhof ウェーゼル川以西にみられる耕地と家屋が密接した,農家の散在する形態を指し,マイツェンはケルト人の集落と考えた。…

※「沼沢村」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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