沼津貝塚(読み)ぬまづかいづか

日本歴史地名大系 「沼津貝塚」の解説

沼津貝塚
ぬまづかいづか

[現在地名]石巻市沼津 出外

東のきようヶ森(標高二八一メートル)山麓から南西方向に突き出た低丘陵の鞍部に立地する縄文時代の大貝塚。古くから出土品があったようで「沼津村安永風土記」に、貝塚の西にある鶴館跡に関連して、「此辺畑ヨリ今ニ矢ノ根并瓦・かわらけ等之類出申候事」とある。矢の根は石鏃、瓦・かわらけは縄文式土器のことであろう。この貝塚が学問的に重要な遺跡として世に知られるようになったのは、石巻在住の考古学者遠藤源七・毛利総七郎両氏によって行われた明治四一年(一九〇八)から昭和四年(一九二九)に至る約二〇年間の発掘調査の成果による。

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改訂新版 世界大百科事典 「沼津貝塚」の意味・わかりやすい解説

沼津貝塚 (ぬまづかいづか)

宮城県石巻市沼津字出外にある縄文時代中期から後期にかけての貝塚。北上川河口近く,山麓から沖積地につきでた低い丘陵の鞍部に立地する。明治末年から昭和初めにかけて発掘された。出土品のうち,シカの角や骨でつくった骨角器質量ともにすぐれていることが大きな特色となっている。とりわけ,釣針や銛,やすなどの骨角製漁具にすぐれたものが多く,縄文時代の漁労活動を研究するうえで重要な資料となっている。発掘品は,現在,東北大学文学部に保管され,そのうち473点が重要文化財に指定されている。遺跡も1972年に国指定史跡となった。
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国指定史跡ガイド 「沼津貝塚」の解説

ぬまづかいづか【沼津貝塚】


宮城県石巻市沼津にある縄文時代から弥生時代にかけての貝塚遺跡。北上川の支流、真野川東岸の丘陵上、東西220m、南北160mの範囲に広がっている。1908年(明治41)から1929年(昭和4)にかけて毛利総七郎と遠藤源七によって発掘され、縄文時代中期末から晩期の骨角器が多数出土したことで知られる。1972年(昭和47)に国指定史跡となり、2000年(平成12)に追加指定された。骨角製の釣り針・銛(もり)などの漁具、櫛・垂飾品などの装身具縄文土器などは重要文化財に指定されている。貝塚には海水産を主とする地区と、淡水産貝類を主とする地区があり、海抜が大きく変化するほどの長期間にわたる生活が続いていたことがわかる。JR仙石線石巻駅から車で約20分。

出典 講談社国指定史跡ガイドについて 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「沼津貝塚」の意味・わかりやすい解説

沼津貝塚
ぬまづかいづか

宮城県石巻(いしのまき)市沼津にある縄文時代前期から晩期にかけての貝塚。北上川の河口に近く、低い丘陵の鞍部(あんぶ)に立地する。明治末期から昭和初年にかけて、石巻在住の遠藤源七、毛利総七郎の2人が発掘し、多数の遺物を集め、「毛利コレクション」として学界に知られていた。そのなかには、鹿(しか)の角や骨でつくった骨角製品が多数含まれ、大きな特色となっている。とくに、釣り針や銛(もり)、やすなどの骨角製漁具に優れたものが多く、縄文時代の漁労活動を研究する重要な資料となっている。これらの出土品は一括して東北大学文学部に移管されているが、うち473点が国の重要文化財の指定を受けている。遺跡も1972年(昭和47)に国の史跡となった。

[藤沼邦彦]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「沼津貝塚」の意味・わかりやすい解説

沼津貝塚
ぬまづかいづか

宮城県石巻市井内にある,縄文時代後・晩期の貝塚。土器,石器,土偶のほか,精巧な骨角器,貝輪などを多量に出土した。また人骨も出ている。

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