法観寺(読み)ほうかんじ

精選版 日本国語大辞典 「法観寺」の意味・読み・例文・類語

ほうかん‐じ ホフクヮン‥【法観寺】

京都市東山区八坂上町にある臨済宗建仁寺派の寺。山号は霊応山。聖徳太子創建の延喜式七か寺の一つ。仁治元年(一二四〇済翁証救が禅刹に改めた。足利義教が再建した五重塔は「八坂の塔」の名で知られる。八坂寺

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デジタル大辞泉 「法観寺」の意味・読み・例文・類語

ほうかん‐じ〔ホフクワン‐〕【法観寺】

京都市東山区にある臨済宗建仁寺派の寺。山号は、霊応山。聖徳太子の創建と伝えられる。永享12年(1440)建造の八坂の塔とよばれる五重の塔がある。八坂寺。

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日本歴史地名大系 「法観寺」の解説

法観寺
ほうかんじ

[現在地名]東山区八坂上町

北は八坂神社、南は清水寺のほぼ中間に位置する。霊応山と号し、また八坂塔と通称する。臨済宗建仁寺派。高さ約四六メートル、周囲約六・四メートル四方の本瓦葺五重塔(本堂、国指定重要文化財)と薬師堂・大師堂が現存し、ことに五重塔は東山一帯のシンボルとされる。明治末年までは京都建仁けんにん塔頭大中だいちゆう院の管理下にあったが現在は独立している。本尊として五智如来五体(釈迦・大日・阿弥陀・阿・宝生)を安置、ほかに聖徳太子三歳像を併置。

〈京都・山城寺院神社大事典〉

〔創建〕

寺伝によれば聖徳太子が如意輪観音の教示により五重塔を建て、仏舎利を納め法観寺と号したという。塔の周囲より出土した古瓦の様式が飛鳥期と推定されるので、当寺の創建時期については肯定される。この創建には古くから八坂やさか郷を拠点としていた渡来系豪族、狛人八坂造がかかわるものと推測される。「延喜式」大膳職によると盂蘭盆供養料七寺の一つとされ、官寺として隆盛した。天暦二年(九四八)塔身が西に傾いたとき当寺東隣にあった雲居うんご(別称八坂東院)僧浄蔵が加持してこれを復したという(元亨釈書)。「百錬抄」治承三年(一一七九)五月一四日条に「祇園大衆等発向清水寺、又清水寺僧合戦、相互放、堂舎人屋多以炎上、此中八坂塔為灰燼」とあり、清水寺衆徒と祇園神人の闘争の際類焼したが、建久二年(一一九一)に至り住持証阿の請を受けて源頼朝が再建した(法観雑記)

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改訂新版 世界大百科事典 「法観寺」の意味・わかりやすい解説

法観寺 (ほうかんじ)

京都市東山区八坂上町,北は八坂神社,南は清水寺のほぼ中間に位置する臨済宗建仁寺派の寺。霊応山と号し,八坂塔と通称する。飛鳥時代の創建で,古くは八坂寺と称した。《延喜式》では盂蘭盆供養料を給される七寺の一つとされ,官寺として栄えたが,1179年(治承3)祇園大衆と清水寺僧徒との合戦の兵火により焼失。91年(建久2)源頼朝の援助を受けて再建されたものの,寺勢は漸次衰えた。1240年(仁治1)当寺中興の祖とされる建仁寺第8世済翁証救が入寺して禅刹となり,現寺号に改められた。その後も炎上,再建をくり返し,現在の五重塔(重文)は,1440年(永享12)足利義教の再建であるが,創建以来の古制を保つという。寺領では,1338年(延元3・暦応1)当寺の塔を山城国利生塔に定めたおり,足利尊氏・直義兄弟が播磨国印南(いなみ)荘地頭職寄進したことなどが知られる。寺宝の紙本著色《八坂塔絵図》(重文)は室町後期の作。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「法観寺」の意味・わかりやすい解説

法観寺
ほうかんじ

京都市東山区八坂上(やさかかみ)町にある臨済(りんざい)宗建仁(けんにん)寺派の寺。霊応山(れいおうざん)と号し、通称を八坂塔(やさかのとう)という。本尊は五智如来(ごちにょらい)(大日(だいにち)、釈迦(しゃか)、阿弥陀(あみだ)、宝生(ほうしょう)、阿閦(あしゅく))。聖徳太子の創建と伝えられ、創建には、八坂郷を拠点としていた渡来系豪族の八坂造(やさかのみやつこ)がかかわったという。『延喜式(えんぎしき)』盂蘭盆(うらぼん)供養料七か寺(当寺のほか、東寺(とうじ)、西寺(さいじ)、佐比寺、野寺、出雲(いずも)寺、聖神(しょうしん)寺)の一つであった。1179年(治承3)兵火にかかり、1192年(建久3)源頼朝(よりとも)により再興される。1240年(仁治1)建仁寺第8世済翁証救(さいおうしょうきゅう)が入住し、真言(しんごん)宗を改めて、以後は禅刹(ぜんさつ)として栄えた。しかし応仁(おうにん)の乱ののちは急速に衰微し、現在では五重塔(国の重要文化財)、太子堂、薬師堂だけがあるにすぎない。五重塔は1440年(永享12)の建造で、飛鳥(あすか)時代の礎石の上に建ち、世に八坂塔と称し、東山の象徴となっている。寺宝の紙本着色八坂塔絵図は国の重要文化財

[平井俊榮]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「法観寺」の意味・わかりやすい解説

法観寺
ほうかんじ

京都市東山区にある臨済宗の寺。聖徳太子の創建と伝えられ,五重塔のみ現存。八坂の塔と呼ばれ,高さ 48m,永享 12 (1440) 年足利義教の再建,元和4 (1618) 年に大修理が行われ,重要文化財に指定されている。

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