デジタル大辞泉
「洛陽伽藍記」の意味・読み・例文・類語
らくようがらんき〔ラクヤウガランキ〕【洛陽伽藍記】
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らくようがらんきラクヤウ‥【洛陽伽藍記】
- 中国南北朝の記録書。五巻。東魏の楊衒之(ようげんし)の著。北魏(三八六‐五三四)の都洛陽の荒廃したようすを、残った寺院の現況、歴史などを中心に記した書。
出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例
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洛陽伽藍記
らくようがらんき
中国、東魏(とうぎ)の楊衒之(ようげんし)の著。五巻。北魏の都洛陽は当時の仏教の隆盛を反映して、1367の寺院があったが、北魏末の戦乱と遷都ののちは荒廃し、東魏の武定(ぶてい)5年(547)、著者が洛陽を再訪したときには421寺に激減していた。その荒廃のさまを憂い、洛陽の主要な寺院の状況、歴史、伝聞などを、城内、城東、城南、城西、城北の順に記録したもの。当時の政治、文化、風俗を伝える貴重な文献であり、また巻末に載せる宋雲(そううん)のインド取経の旅行記(『宋雲行紀』)は、西域(せいいき)資料として価値が高い。本書の研究に周祖謨(しゅうそぼ)『洛陽伽藍記校釈』(1958)、范祥雍(はんしょうよう)『洛陽伽藍記校注』(同)がある。
[佐藤 保]
『入矢義高他訳『洛陽伽藍記・水経注(抄)』(平凡社・東洋文庫)』▽『長沢和俊訳注『法顕伝・宋雲行紀』(平凡社・東洋文庫)』
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洛陽伽藍記 (らくようがらんき)
Luò yáng qié lán jì
中国において,5世紀後半から6世紀前半に拓跋(たくばつ)族が建てた北魏の都洛陽の繁昌記。著者は楊衒之。北魏は仏教を国教とし,多くの壮大な寺院を建立した。本書はそれら代表的な寺院を叙述の軸として,政治,経済,民俗,学芸など文化の万般にわたって精細に記述しており,中国最初の都市記録としてきわめて高い価値をもつ。素朴な筆致がかえって事実の活写に役立っていることも見のがせない。
執筆者:入矢 義高
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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洛陽伽藍記
らくようがらんき
Luo-yang qie-lan-ji
中国,寺院の記録。東魏の楊衒之 (げんし) 著。5巻。6世紀中葉成立。洛陽にあった寺観の位置,寺歴,旧聞,古跡について記した書。洛陽は北魏の首都として繁栄し,1300余の寺院があったが,北魏が鄴 (ぎょう) に遷都してから荒廃に向った。本書は,その洛陽を訪れた著者が,かつての栄華を偲び,壮麗を誇った寺観についてその記録を残そうとしたもので,城内,城東,城南,城西,城北の5区に分け,それぞれ盛時の面影から説き起し現在の状況に及ぶが,それに関連して政治,風俗,人事にいたるまでを簡潔な名文で描写してあり,当時の社会を知るための史料として,また文学作品として,高い価値をもつ。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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洛陽伽藍記【らくようがらんき】
中国,洛陽の諸寺の旧聞・古跡を集録した書。北魏の楊衒之(ようげんし)著。5巻。6世紀半ばの成立。孝文帝が洛陽に都して(493年)繁栄した寺院が,東西魏の分裂により荒廃したのを嘆いて書く。中国最初の都市記録として重要な史料。
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
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洛陽伽藍記
らくようがらんき
洛陽の諸寺の旧聞や古跡を集録した書
東魏の楊衒之 (ようげんし) の撰。5巻。北魏の都洛陽の壮麗な寺院が,魏の東西分裂で昔日の面影を失ったのを悲しんでつくった。他に政治・風俗・地理なども簡潔に記され,巻5には宋雲・恵生のインド紀行『西域行記』がある。
出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報
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