中国,北魏第6代皇帝。在位471-499年。拓跋(元)宏。廟号高祖。献文帝の長子として生まれ,471年(延興1)父帝の譲位を受けて即位。しかし当時は胡太后専制時代で,帝も太后の養育と後見を受けた。太后はときにむごい仕打ちを加えたが,帝はよくこれに堪え,490年(太和14)太后の死を契機に親政時代を迎えた。帝が使命としたのは,種族的原理がなお強く作用していた北魏国家を,いっそう普遍的な国家に高めることであった。そのために南朝からの亡命者王粛らを顧問として,貴族制の原理を国制に導入し,これによって種族の原理を超え,南朝と優劣を決しようとした。親政が始まると律令の改定に着手し,493-494年(太和17-18)には南伐と見せかけて洛陽遷都を強行した。従来平城にあった胡族は洛陽への移住を命ぜられ,以後河南洛陽を本籍地とした。同時に朝廷で胡服を着け胡語を話すことを禁じ,胡姓を漢姓に改めさせた。このとき,拓跋氏も元氏と改められた。496年の姓族詳定は,北魏を支えてきた胡族の各家を漢族風の貴族制によって組織づけるもので,部落大人の後裔であるか否かと北魏における父祖の官爵とによって,各家を等級づけた。さらに漢人貴族との通婚を奨励し,元氏も山東貴族や隴西の李氏と通婚した。
以上のような諸政策に対し穆泰らの謀反など胡族の側から抵抗の動きがあったが,帝はこれを抑えることに成功した。帝が胡族優位の伝統を打破し,種族を超えた普遍国家を目ざしたことは,五胡十六国以来の胡漢二重体制が止揚されてゆく時代の必然を表すものであった。帝は儒学,史学,老荘学などの造詣深く,詔勅などもみずから筆を執って書くほどの教養人で,こうした改革にふさわしい心身共に強靱な帝王であった。しかしその普遍国家の原理は結局門閥貴族制にほかならず,国制の改変は胡族民衆の地位低下を招いた。帝の死後その不満が醸成されてゆき,ついに六鎮の乱に結果して,国家の瓦解を招いた。
執筆者:谷川 道雄
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中国、北魏(ほくぎ)第6代の皇帝(在位471~499)。諱(いみな)は宏、廟号(びょうごう)は高祖。父献文帝の譲位により即位したときは5歳であり、祖父文成帝の皇后文明太后の執政が490年まで続いた。この間に、国家による土地把握をたてまえとする均田制、戸単位にかわって夫婦を単位として徴税する租調制、それらを施行する条件をつくる三長(さんちょう)制の創出が行われた。これらは国家による小農民の直接把握を目ざすもので、北魏のみならず中国史上重要な意義をもつ。これに先だつ地方官への俸禄(ほうろく)支給制の施行もその一環とみなせる。
この基礎のうえに立つ親政期の政策は、通常、漢化政策と称される。それは平城(へいじょう)(山西省大同)から洛陽(らくよう)への遷都強行に始まり(493年に着手)、鮮卑(せんぴ)の言語、衣服の使用を禁じ、姓を漢族風に改め(たとえば帝室拓跋(たくばつ)氏は元氏となった)、洛陽に移った北人の平城帰葬を許さないなどの諸策が相次いで出された。もっとも注目すべきは姓族分定であり、漢人貴族の家格詳定を伴いつつ、北族社会を、当時の中国社会を規定していた門閥(もんばつ)主義下に再編しようとしたものであり、そのうえで同格の漢人と北族の通婚を奨励、帝は自ら諸弟の妃に漢人名族の女を選んだ。これらは北族による統治の行き詰まりの打開策であったが、反面、北族の不満は大きく、在世中に皇太子らの反逆があり、また20余年後の六鎮(りくちん)の乱の遠因となった。帝は、詔勅をも自ら書くほど中国的教養が深く、朝廷の儀礼も、治世中に多く中国的なそれに改められた。
[窪添慶文]
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467~499(在位471~499)
北魏の第6代皇帝。名は拓跋宏(たくばつこう),486年まで太皇太后馮氏(ふうし)(文明皇后)が執政し,その治下で俸禄制,均田制,三長制が施行された。親政後は中国同化政策を進め,平城から洛陽に遷都した。鮮卑(せんぴ)人の胡服,胡語,胡性をやめて中国風に改め,鮮卑,漢人両貴族の家格を定めて,相互の通婚を奨励するとともに,専制的官僚制と貴族制との調和を図った。
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…帝国の発展に伴って漢人貴族の政権参加も一般化し,北族中心の国家体制を改革する必要が生じた。第6代孝文帝は洛陽遷都を断行し,また北族の姓氏,言語,風習を漢族風に改める諸政策によって,中国的貴族制国家を志向した。それはやがて北族系軍人の不満を増大させ,524年(正光5)の六鎮の乱を契機に東西両魏に分裂した。…
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