改訂新版 世界大百科事典 「洞院実世」の意味・わかりやすい解説
洞院実世 (とういんさねよ)
生没年:1308-58(延慶1-正平13・延文3)
鎌倉末~南北朝期の公卿。太政大臣公賢の子。後醍醐天皇の信任を得て1330年(元徳2)に権中納言,左右衛門督,検非違使別当と重職に任ぜられた。討幕の企てに関与したため31年(元弘1)六波羅探題に捕らえられ,官職を削られた上で翌年父公賢に身柄を預けられた。天皇が復帰すると本職に復し,建武政権では34年(建武1)春宮権大夫,大学頭に任ぜられ,恩賞方の頭人,雑訴決断所の寄人(よりうど)も務めた。36年(延元1・建武3)には勲功の賞として正二位に叙せられた。南北朝に分裂すると,恒良親王,尊良親王とともに越前へ向かう新田義貞の軍に加わった。杣山(そまやま)城落城後は吉野に行き,南朝の左大臣,右大将に任ぜられ,南朝方の中でも対武家強硬派の重臣として大きな存在であった。父公賢には表向き義絶されていたが,実際には交渉があったようである。1358年8月19日没。
執筆者:清田 善樹
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報