天正(てんしょう)(1573~1591)のころ浅山一伝によって開かれた武術の流儀。初めは剣術、居合(いあい)、柔術、捕手(とりて)、鎌(かま)、棒などを含む総合的な武術であったが、近世に入って各地に多くの分派を生じた。流祖一伝についても、分派によって伝承を異にし、その出身地、年暦とも明らかではない。それらのうちおもなるものを次にあげる。
(1)『武芸小伝』の著者日夏繁高(ひなつしげたか)の父弥助能忠(やすけよしただ)(丹波篠山(たんばささやま)藩士)を6代とする一伝流抜刀術では、丸目主水正(もんどのしょう)を元祖とし、国家弥右衛門を経て朝山内蔵介(くらのすけ)に至り、海野一郎右衛門、金田源兵衛とつないで、能忠(貞享(じょうきょう)3年没、62歳)に及んでいる。
(2)享保(きょうほう)~寛政(かんせい)期、江戸で高名な浅山一伝流森戸稽古(けいこ)場の記録によれば、流祖浅山一伝斎重晨(しげあき)から五伝を経て中興の祖浅山一伝重行(元禄(げんろく)4年6月没)に至り、この重行から家祖森戸三太夫朝恒(正徳5年5月没)が直伝を受け、1702年(元禄15)に指南を始めたとしている。同派の伝書によれば、平稽古の本形(ほんかた)だけで、木刀、颯纚(しない)、小太刀(こだち)、鎌、棒、居合、小具足、柔下組、立合、外物などあわせて94本の多数にのぼっている。一方、武者組、捕手などの個別コースも用意され、それぞれ目録、免状を授与された。また時代の要求に応じて、元文(げんぶん)年間(1736~1741)には、目録以上の者に、竹具足(胴(どう))を着用しての仕合稽古を許している。久留米(くるめ)藩の津田一伝流は、幕末この門から分立したものである。
(3)松江藩の不伝流伝書によれば、この流は浅山一伝一存(かずのり)(貞享4年1月没、78歳)の高弟伊藤長太夫次春(号不伝)が、師伝のうちから蕪雑(ぶざつ)なものを捨て純粋なものを撰(え)り出して居合の一流をたて、従来の刃引稽古から木刀、撓(しない)による稽古へと改編したものである。
以上の諸資料から、朝山内蔵介と一伝斎重晨、一伝重行と一伝一存には、いろいろ共通点も考えられるが、同一人物とするにはなお検討の余地がある。
[渡邉一郎]
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