浅科(読み)あさしな

日本大百科全書(ニッポニカ) 「浅科」の意味・わかりやすい解説

浅科
あさしな

長野県中東部、北佐久郡(きたさくぐん)にあった旧村名(浅科村(むら))。現在は佐久市の北西部を占める。旧浅科村は2005年(平成17)佐久市に合併。佐久盆地に位置し、千曲(ちくま)川の左岸段丘面と、御牧(みまき)ヶ原にわたる。近世は中山道(なかせんどう)(現、国道142号)が通過し、旧村の中心集落である八幡(やわた)に宿駅が置かれ、現在も宿駅のおもかげを残す。旧五郎兵衛新田村は寛永(かんえい)年間(1624~1644)市川五郎兵衛が開いた用水によってできた新田集落で、当時の史料を集めた資料館があり、堰(せき)も残っている。また、御牧ヶ原は古代、信州の代表的な官牧場で御馬寄(みまよせ)、駒寄(こまよせ)などの集落や、八幡(はちまん)神社がある。付近は薬用ニンジンの栽培が特色

[小林寛義]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「浅科」の意味・わかりやすい解説

浅科
あさしな

長野県東部,佐久市北西部の旧村域。佐久盆地の北西部,千曲川西岸の段丘上にある。 1955年中津村,五郎兵衛新田村,南御牧村が合体し浅科村が成立。 2005年佐久市,臼田町,望月町と合体して佐久市となった。地名浅間山蓼科山から1字ずつとった。水田が多く,薬用ニンジンの特産地。中心集落の八幡は近世中山道宿場町,御馬寄は千曲川の渡河点であった。八幡神社本殿,高良社は国の重要文化財。北半の御牧ヶ原と呼ばれる台地は平安時代には官牧地で,近年は別荘地や耕地に開発されている。

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改訂新版 世界大百科事典 「浅科」の意味・わかりやすい解説

浅科 (あさしな)

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世界大百科事典(旧版)内の浅科の言及

【五郎兵衛新田】より

…戦国土豪の流れをくむ市川五郎兵衛真親が,1626年(寛永3)12月に小諸藩主松平忠憲家臣から開発許可状をもらって開発した新田村。現在の長野県北佐久郡浅科村内に所在し,いわゆる佐久平に位置している。すぐ近くを千曲川が流れているが台地上にあるため引水はむずかしく,一部を除いて荒蕪地のまま放置されていた。…

※「浅科」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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