浅野氏(読み)あさのうじ

改訂新版 世界大百科事典 「浅野氏」の意味・わかりやすい解説

浅野氏 (あさのうじ)

近世大名。外様。清和源氏頼光土岐光時が尾張国丹羽郡浅野村に住して浅野氏を称し,その後裔長勝に起こるとする。長勝の婿養子長吉(のち長政)で,織田信長に仕えたが,豊臣秀吉とは相婿であるため,豊臣政権では重んじられて五奉行の首座に列した。1587年(天正15)九州征討後,若狭一国を与えられ,文禄の役には軍監として朝鮮に渡り,功により93年(文禄2)嫡子幸長(よしなが)とともに甲斐国に移り21万石余を領した。幸長は関ヶ原の戦で東軍の先鋒となって功を立て,戦後徳川家康から紀伊国和歌山城主として37万6500石に封ぜられた。1613年(慶長18)幸長は嗣子なくて没し,弟長晟(ながあきら)があとを継いだが,大坂の陣の功により19年(元和5)安芸国,備後8郡42万6000石に加増されて広島城に移った(広島藩)。嗣子光晟は家康の外孫として松平の号を許され,また安芸守となり,以後子孫相受けて長勲(ながこと)の代に及び,廃藩置県により侯爵に列して東京に移る。

 1632年(寛永9)光晟就封のとき,庶兄長治が三次(みよし)に分知,5万石を領し,因幡守を称した。1720年(享保5)5代長寔(ながざね)が嗣子なくして没し,封知は宗家へ返された。30年広島藩主吉長は弟長賢に蔵米3万石を分けて内証分家とし,江戸穏田青山に居館を置く。7代長厚に及び居館を安芸国吉田に移すが,1869年(明治2)版籍奉還により廃家。長政の3子長重は徳川秀忠に仕えて2万石を領したが,長政の死後その隠居料を与えられ,1622年(元和8)常陸国笠間城で5万3000石を領した。その子長直のとき45年(正保2)赤穂に移り,ここに築城する。内匠頭を称す。長直の孫長矩(ながのり)のとき1701年(元禄14)江戸城中で吉良義央を傷つけた罪により死を賜り,除封,断絶した。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「浅野氏」の意味・わかりやすい解説

浅野氏
あさのうじ

清和源氏(せいわげんじ)頼光流(らいこうりゅう)土岐(とき)氏族をいう。『尊卑分脈(そんぴぶんみゃく)』によれば、頼光の孫光信(みつのぶ)は美濃国(みののくに)(岐阜県)土岐郡に住んで土岐氏を称す。その曽孫(そうそん)光行は同郡浅野村に住んで浅野判官(ほうがん)といい、その弟光時や子孫はみな浅野氏を称したという。

(1)安芸(あき)広島浅野氏 広島藩主。『寛永諸家系図伝』などは、光時の後裔(こうえい)とするが信ずるに足りない。浅野氏の立身は織田信長、豊臣秀吉(とよとみひでよし)、徳川家康の取り立てによる。家祖長勝(ながかつ)、長吉(ながよし)(長政(ながまさ))はともに信長に仕え、1583年(天正11)秀吉より近江(おうみ)2万石余を与えられて初めて大名となる。その後、1587年若狭(わかさ)一国、1593年(文禄2)甲斐(かい)一国21万石余、1600年(慶長5)関ヶ原の戦い後、長政の子幸長(よしなが)が家康より紀伊国和歌山37万石余、1619年(元和5)幸長の弟長晟(ながあきら)が安芸・備後(びんご)42万石に封ぜられた。以後子孫相受けて大広間詰、安芸守(あきのかみ)、松平(まつだいら)の家号を代々許される。1871年(明治4)廃藩置県により華族に列し、やがて侯爵となる。

(2)備後三次(みよし)浅野氏 広島浅野氏の支封。長晟の庶長子長治(ながはる)を祖とし、1632年(寛永9)備後三次に分知5万石、因幡守(いなばのかみ)を称した。柳間詰(やなぎのまづめ)、1719年(享保4)継嗣(けいし)断絶、封知は宗家へ返された。

(3)播磨(はりま)赤穂(あこう)浅野氏 長政の三子長重(ながしげ)が徳川秀忠(ひでただ)より2万石、1622年(元和8)常陸(ひたち)笠間(かさま)5万石余、1645年(正保2)播磨赤穂5万石余に移封する。1701年(元禄14)長矩(ながのり)が江戸城中で吉良義央(きらよしなか)を刃傷(にんじょう)した罪により、切腹、断絶した。

[土井作治]


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山川 日本史小辞典 改訂新版 「浅野氏」の解説

浅野氏
あさのし

近世の大名家。清和源氏頼光流の美濃土岐氏の一族といわれるが,藤原姓も称した。長勝のとき織田信長に仕え,養女がのちの豊臣秀吉と結婚。その縁で養子長政は秀吉に重用され,政権の中枢を占めた。関ケ原の戦後,長政は常陸国真壁5万石を,子の幸長(よしなが)は紀伊国和歌山37万6000石余を与えられた。幸長没後に弟長晟(ながあきら)が襲封し,1619年(元和5)安芸・備後42万6000石余を与えられ広島に移る。以後明治期に至り侯爵。一方,32年(寛永9)長晟の庶子長治は備後国三次(みよし)5万石を分知され,1720年(享保5)まで続いた。また長政の三男長重は真壁を襲封し,1645年(正保2)長直のとき播磨国赤穂に転封されたが,1701年(元禄14)長矩(ながのり)の代で断絶した。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「浅野氏」の意味・わかりやすい解説

浅野氏
あさのうじ

清和源氏。源頼光7世孫光衡より出,その次男光時のとき,浅野氏を称する。代々尾張国に居住。長勝および養子長政が織田信長に仕え,長政の妻が豊臣秀吉の妻と姉妹の間柄であったので,長政は秀吉に重用され五奉行の一人となった。文禄2 (1593) 年,甲斐府中に入封。幸長 (よしなが) のとき,関ヶ原の戦いでその子長晟 (ながあきら) とともに東軍徳川方につき,功によって和歌山に入封。大坂の陣では長晟は徳川方に味方し,元和5 (1619) 年,広島に入封し,42万 6000石を領有,広島浅野氏となった。明治維新後,侯爵。ほかに長晟の庶長子長治の流れの備後三次 (みよし) 浅野氏,長政の3男長重を始祖とする播州赤穂浅野氏がある。

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百科事典マイペディア 「浅野氏」の意味・わかりやすい解説

浅野氏【あさのうじ】

近世の大名。清和源氏の流れ。又右衛門長勝は養子の長政とともに織田信長,豊臣秀吉に仕え,長政は五奉行の一員となる。関ヶ原の戦では徳川につき和歌山城主として37万6500石を領し,大坂の陣の功で42万6000石の広島城主となり,以後明治に至る。ほかに備後三次(びんごみよし)浅野氏,播磨赤穂(はりまあこう)浅野氏がある。→浅野長政広島藩

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世界大百科事典(旧版)内の浅野氏の言及

【安芸国】より

…しかし19年城郭の無断改修の罪によって福島氏は改易となり,そのあと広島城主となったのは,紀伊国和歌山から入った浅野長晟(ながあきら)で,安芸国一円と備後国8郡,つごう42万6000石余を領した。浅野氏は原則的に福島氏の諸制度を継承したが,長晟のあとを受けた光晟の代,その近世的整備はいっそう進み,広島城下町を中心とする広島藩一円支配体制が確立された。33年(寛永10)幕府巡検使の派遣を機に道路・橋梁や宿駅施設の整備・拡充が大いに進み,西国街道をはじめ,石見・出雲路,津和野路など面目を一新した。…

【紀州藩】より

…紀伊藩ともいい,1868年(明治1)からは公式に和歌山藩と称した。親藩となる前は1600年(慶長5)に浅野幸長(よしなが)が37万6500石で入国し,19年(元和5)弟の浅野長晟(ながあきら)が安芸国に転封するまで浅野氏の支配下にあった。同年に徳川家康の子で,駿府城で50万石を領有していた徳川頼宣が伊勢・大和の一部を合わせ55万5000石で入国して以来,三家として重きをなした。…

【大名】より

… (1)国主大名とは1ヵ国以上の国を領有する大名,1国に近い土地を領有するか,もしくは領地高が多い大名をいい,家数は時代によって変遷するが,おおむね幕末では次のとおりである。前田氏(加賀・能登等102万石余を領し金沢に住する),島津氏(薩摩・大隅等77万石余,鹿児島),黒田氏(筑前52万石,福岡),浅野氏(安芸等42万石余,広島),毛利氏(周防・長門36万石余,萩,幕末に山口へ移る),池田氏(因幡・伯耆32万石,鳥取),池田氏(備前等31万石余,岡山),蜂須賀氏(阿波・淡路25万石余,徳島),山内氏(土佐24万石,高知),宗氏(対馬10万石格,府中)の10家が1国以上を領有する大名としてあげられる。宗氏は1万石余であるが対馬1国を領有するし,朝鮮との外交関係があったので10万石格の国主の扱いを受けた。…

【三原[市]】より

…その後,三原城は福島氏時代(1600‐19)には城番尾関右衛門太郎以下,侍・鉄砲衆237人が配置された。福島氏改易後,浅野氏が入部し,三原城は筆頭家老三原浅野氏に預けられた。城下町は3万石におよぶ知行地支配,備後西部地域の商業・交通の中心地として重要であった。…

※「浅野氏」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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