源俊明(読み)みなもとのとしあきら

改訂新版 世界大百科事典 「源俊明」の意味・わかりやすい解説

源俊明 (みなもとのとしあきら)
生没年:1044-1114(寛徳1-永久2)

平安後期公卿。権大納言隆国の三男。母は参議源経頼の女。1075年(承保2)蔵人頭より参議に昇り,累進して大納言に任じ,その間,治部卿,民部卿を兼ね,また白河院別当となり,院の近臣といわれたが,1114年12月2日病により出家,同日没した。藤原宗忠はその死を悼み,〈心性甚だ直にして,朝の重臣なり,良臣国を去る,誠に哀しきかな〉と日記に書いている。その剛直さは,皇后の死を嘆いて政務を放棄する白河天皇を諫め,鳥羽天皇外戚藤原公実摂政就任の野望を抑え,また奥州の藤原清衡の贈る砂金を拒絶した逸話などとして伝えられている。
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朝日日本歴史人物事典 「源俊明」の解説

源俊明

没年:永久2.12.2(1114.12.30)
生年寛徳1(1044)
平安後期の公卿。醍醐源氏。権大納言源隆国と左大弁源経頼の娘の子。白河天皇の近臣。蔵人頭から承保2(1075)年参議となり,右衛門督,検非違使別当,治部卿などを経て民部卿となり,正二位大納言に至る。朱雀民部卿と号した。白河天皇譲位後も院近臣として活躍。また摂関家でも重んじられ,様々の諮問に与った。『愚管抄』によると,嘉承2(1107)年鳥羽天皇即位のとき,藤原公実が外戚であることから白河上皇に摂政となることを望んだが,俊明がそれを阻んだという。

(渡辺晴美)

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「源俊明」の解説

源俊明 みなもとの-としあきら

1044-1114 平安時代中期-後期の公卿(くぎょう)。
寛徳元年生まれ。源隆国の3男。承保(じょうほう)2年(1075)参議。のち正二位,大納言兼民部卿。白河院の別当をつとめた。摂関家の藤原忠実(ただざね)にもおもんじられ,鳥羽(とば)天皇即位のとき,天皇の外戚(がいせき)藤原公実(きんざね)がのぞんだ摂政就任を阻止したという。永久2年12月2日死去。71歳。

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