コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

源師房 みなもとのもろふさ

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

源師房
みなもとのもろふさ

[生]寛弘5(1008).京都
[没]承保4(1077).2.17. 京都
平安時代後期の貴族。右大臣,従一位。村上天皇の皇子具平親王の第1王子。村上源氏の祖。関白藤原頼通猶子となり,寛仁4 (1020) 年朝臣の姓を受けた。その後権中納言,権大納言,内大臣などを歴任し,延久1 (69) 年右大臣となった。承保4 (77) 年2月 17日任太政大臣の勅宣が出されたが,幾時もたたず没した。著書に『叙位除目抄』,日記に『土右記』がある。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

デジタル大辞泉の解説

みなもと‐の‐もろふさ【源師房】

[1008?~1077]平安中期の公卿村上天皇の皇子具平(ともひら)親王の子。源の姓を賜り、臣籍に降下。村上源氏の祖。土御門(つちみかど)右大臣と称された。のち太政大臣となったが、即日死去。詩文・和歌に長じた。著「叙位除目抄」、日記「土右記」。

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

源師房 みなもとの-もろふさ

1008-1077 平安時代中期の公卿(くぎょう)。
寛弘(かんこう)5年生まれ。具平(ともひら)親王の王子。母は為平親王の王女。村上源氏の祖。藤原頼通の養子となり,その妹尊子を妻として摂関家に密着。累進して右大臣,従一位にすすむ。土御門(つちみかど)右大臣とよばれた。才学すぐれ,歌は「後拾遺和歌集」以下に10首はいる。承保(じょうほう)4年2月17日死去。70歳。初名は資定。日記に「土右記(どゆうき)」。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

朝日日本歴史人物事典の解説

源師房

没年:承暦1.2.17(1077.3.14)
生年:寛弘5(1008)
平安中期の公卿。土御門右大臣と称される。村上天皇の子の具平親王とその兄の為平親王の娘の子。賜姓源氏。2歳のとき父と死別したが,姉の隆姫女王が藤原頼通に嫁したことで頼通の猶子になった。13歳の元服のとき源姓を得て資定王から師房に改名。万寿3(1026)年,権中納言に任じられ,62歳で右大臣。頼通の妹尊子を妻にし(藤原道長の指図か),生まれた俊房,顕房は左,右大臣に昇り,麗子は頼通の後継者師実に嫁し嫡男師通を生んだ。摂関家と姻戚関係を結んだことにより,村上源氏の地位を強力に高め「源氏といえども師房の子孫は御堂(道長流)の末葉に入る」といわしめた。『叙位除目抄』を著すなど故実にも通じ,頼通から教示された摂関家の故実を師実へと継承した。歌合 を主催するなど歌才を発揮し,勅撰集にも多くの歌が入る。50年間分あったという『土右記』(『土御門右大臣記』)は一部を残すのみ。<参考文献>片山剛「源師房序説」(『後期摂関時代史の研究』),木本好信『平安朝日記と逸文の研究』

(朧谷寿)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

世界大百科事典 第2版の解説

みなもとのもろふさ【源師房】

1008‐77(寛弘5‐承暦1)
平安後期の公卿。村上源氏の祖。村上天皇皇子具平親王の長男。母は為平親王の女。初名は資定。1020年(寛仁4)元服して源姓を賜り,師房と改名。関白藤原頼通の養子となり,その妹尊子をめとった。24年(万寿1)従三位に昇り,摂関家の庇護のもとに累進して,69年(延久1)右大臣となったが,77年2月13日病により辞官,17日没した。政理故実に通じ,文事をよくした。邸宅の所在により土御門右大臣と称され,その日記は《土右記》と呼ばれた。

出典 株式会社日立ソリューションズ・クリエイト世界大百科事典 第2版について 情報

大辞林 第三版の解説

みなもとのもろふさ【源師房】

1008~1077) 平安後期の廷臣。村上天皇の孫、具平ともひら親王の長子。藤原頼通の猶子。村上源氏の祖。1077年太政大臣。著「叙位除目抄」、日記「土右記」など。

出典 三省堂大辞林 第三版について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

源師房
みなもとのもろふさ
(1008?―1077)

平安中期の公卿(くぎょう)。太政(だいじょう)大臣、従(じゅ)一位。村上(むらかみ)天皇の孫。具平(ともひら)親王の長子。幼名ます宮。母は為平(ためひら)親王の娘。1020年(寛仁4)12月26日、13歳(11歳説もあり)で元服。源朝臣(あそん)の姓を賜り、本名の資定(すけさだ)を改名した。この年正月、従四位下(げ)となり、昇殿。頼通(よりみち)の養子となる。24年(万寿1)道長の娘尊子と結婚。従三位(さんみ)となる。29年(長元2)正三位より従二位、左衛門督(さえもんのかみ)(「公卿補任(くぎょうぶにん)」は30年)となる。31年女院(上東門院)の住吉詣(すみよしもう)でに歌の序を書き和歌を詠んでいる。和歌会に序題を献ずることも多く、49年(永承4)「永承(えいしょう)4年内裏(だいり)歌会」では判者を勤仕した。59年(康平2)娘麗子は源師実(もろざね)と結婚。右大将、内大臣を経て69年(延久1)には右大臣。74年(承保1)従一位。翌年牛車に乗り宮門の出入りの勅許あり、また左大将、皇太子傳(ふ)を兼ねた。77年(承暦1)正月より疱瘡(ほうそう)を患い、2月17日、太政大臣に任ずるの勅宣を受けたが、同日、薨(こう)じた。村上源氏の祖であり、土御門(つちみかど)右大臣と称され、日記『土右記(どゆうき)』がある。また、師房の歌合(うたあわせ)もあり、和歌にも関心の深かったことがわかる。[山中 裕]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

世界大百科事典内の源師房の言及

【久我家】より

…江戸時代の家禄700石,笛の家。村上天皇皇子具平親王の子資定王が源姓を賜り源師房と改名,藤原道長の女婿となって右大臣に昇る。その子に俊房・顕房があり,後三条・白河両天皇の藤原氏抑圧策によって,俊房は左大臣に,顕房は右大臣に昇進した。…

※「源師房」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト世界大百科事典 第2版について | 情報

源師房の関連キーワード藤原尊子(2)馨子内親王藤原隆子藤原師実藤原師通源顕房源俊房源麗子久我家行玄廷臣仁覚

今日のキーワード

だまし面接

企業が面談や懇談会と称して就職活動中の学生を呼び出し、実質的には学生を選考する偽装面接のこと。2016年卒業の大学生に対する選考活動の開始時期を、従来の4月1日から8月1日以降へと後ろ倒しする主旨の「...

続きを読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android