平安中期の公卿(くぎょう)。太政(だいじょう)大臣、従(じゅ)一位。村上(むらかみ)天皇の孫。具平(ともひら)親王の長子。幼名ます宮。母は為平(ためひら)親王の娘。1020年(寛仁4)12月26日、13歳(11歳説もあり)で元服。源朝臣(あそん)の姓を賜り、本名の資定(すけさだ)を改名した。この年正月、従四位下(げ)となり、昇殿。頼通(よりみち)の養子となる。24年(万寿1)道長の娘尊子と結婚。従三位(さんみ)となる。29年(長元2)正三位より従二位、左衛門督(さえもんのかみ)(「公卿補任(くぎょうぶにん)」は30年)となる。31年女院(上東門院)の住吉詣(すみよしもう)でに歌の序を書き和歌を詠んでいる。和歌会に序題を献ずることも多く、49年(永承4)「永承(えいしょう)4年内裏(だいり)歌会」では判者を勤仕した。59年(康平2)娘麗子は源師実(もろざね)と結婚。右大将、内大臣を経て69年(延久1)には右大臣。74年(承保1)従一位。翌年牛車に乗り宮門の出入りの勅許あり、また左大将、皇太子傳(ふ)を兼ねた。77年(承暦1)正月より疱瘡(ほうそう)を患い、2月17日、太政大臣に任ずるの勅宣を受けたが、同日、薨(こう)じた。村上源氏の祖であり、土御門(つちみかど)右大臣と称され、日記『土右記(どゆうき)』がある。また、師房の歌合(うたあわせ)もあり、和歌にも関心の深かったことがわかる。
[山中 裕]
平安後期の公卿。村上源氏の祖。村上天皇皇子具平親王の長男。母は為平親王の女。初名は資定。1020年(寛仁4)元服して源姓を賜り,師房と改名。関白藤原頼通の養子となり,その妹尊子をめとった。24年(万寿1)従三位に昇り,摂関家の庇護のもとに累進して,69年(延久1)右大臣となったが,77年2月13日病により辞官,17日没した。政理故実に通じ,文事をよくした。邸宅の所在により土御門右大臣と称され,その日記は《土右記》と呼ばれた。もと97巻(20~69歳の間)あったというが,いま伝えられる逸文によっても,その才学がしのばれる。
執筆者:橋本 義彦
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(朧谷寿)
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出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…江戸時代の家禄700石,笛の家。村上天皇皇子具平親王の子資定王が源姓を賜り源師房と改名,藤原道長の女婿となって右大臣に昇る。その子に俊房・顕房があり,後三条・白河両天皇の藤原氏抑圧策によって,俊房は左大臣に,顕房は右大臣に昇進した。…
※「源師房」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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