日本大百科全書(ニッポニカ) 「潜水調査船」の意味・わかりやすい解説
潜水調査船
せんすいちょうさせん
潜水して、海中・海底の海洋学的、地球物理学的の諸調査(観察、観測、測量、試料採取)や海中工事用の諸調査、作業をする小型の潜水艇。人員、測定器などを搭載、海中を微速(3~5ノット程度)ながら自力で航走できるものが多い。
人類の海中(深海)観察の願望は古く、アレクサンドロス大王が海中観察を試みたといわれるガラス製の水中船や、ベルヌの『海底二万里』(1869~1870)のノーチラス号は、これをよく表しているといえよう。しかし、本格的な潜水調査船の原形ができたのは20世紀に入ってからで、1930年代の潜水球bathysphereが最初である。これは作業船からワイヤロープで降ろす形式の耐圧球であった。ほぼ同じころ日本ではすでに潜水作業船(西村式豆潜水艇として知られる)がつくられており、形状、機能からは現在の潜水調査船の先駆といえる。アメリカの潜水球は深海調査を志向するもので、1934年、生物学者ビービCharles William Beebe(1877―1962)と設計・製作者のバートンOtis Bartonとが乗り組み、バーミューダ沖で3028フィート(923メートル)の深海到達と観察に成功している。
第二次世界大戦後の1953年、スイスの物理学者A・ピカールが、いままでのものとまったく原理を異にするバチスカーフbathyscapheをつくり、3150メートルの深海に到達成功したのを契機に、潜水調査船は急速に進歩を遂げた。この背景には世界的な海洋開発の気運があった。直接的には第二次世界大戦における潜水艦関連諸技術の飛躍的な進歩・発展、とくに優れた高張力鋼や新電池の開発、およびエレクトロニクス、水中通信(音響)技術、ロボット技術(マニピュレーター)など関連諸技術の目覚ましい発展などをあげることができる。
潜水調査船は有人のものをさすが、無人のものは海中ロボット、海中テレビ(カメラ)などとよばれる。1985年、海底の戦艦大和(やまと)を確認、写真撮影に成功したのは有人自走式のイギリス製「パイセスⅡ号」で、同年海底のタイタニック号の所在確認と写真撮影に成功したのは無人の海底探査ロボット「アルゴ」である。
[半澤正男]
潜水の原理
浅海用のものは通常の潜水艦と同じで、バラストタンクへの注排水による。深海用のものはバラストタンクも使用するが、「しんかい2000」のように、浮力材(中空ガラス球を樹脂で固めたもの)をあらかじめ搭載し、これとショットバラスト装置(直径2~4ミリメートルの鋼球(ショット)を多量に搭載し、浮上するときはこれを捨てる)により沈下・浮上する。前者の潜水艦と同じく耐圧船殻をもつものをドライタイプ、人が乗るコントロール室のみ海中の高水圧に耐える球状のものにしたものをウェットタイプという(球状部以外は海水に浸るため)。潜水調査船の多くは、「しんかい2000」に母船「なつしま」の随伴を必要とするように、母船随伴型である。
海洋学、海洋地球物理学の発展と、海中工事の多様化によって、潜水調査船の活躍舞台は、ますます広がることが予想される。
[半澤正男]