火で浣(あら)う布の意。汚れを洗いおとすため火の中に投げこむと,燃えつきることなく,みごとにもとの白色をとりもどすところから,この名がつけられた。周の穆王(ぼくおう)が西戎を征伐したとき,西戎がこの布を献上したという話が《列子》にみえる。後漢の梁冀(りようき)は火浣布の衣装を着けて宴席にのぞみ,わざと酒で汚したうえ火に投げこませ,みんなを驚かせた。しかし,魏の文帝はそのようなものが存在するはずはないと《典論》の一節に記し,《典論》は明帝によって石に刻まれたが,数年たって西域から火浣布の献上があったため,天下の笑いものとなったという。当時,火浣布の材料は,炎火の山に生える木の華あるいは皮,またはそこに住むネズミの毛などであろうと考えられていた。しかし,実際は石綿(アスベスト)で織られた布。《洞冥記》に,漢の武帝の宮廷の池に浮かぶ舟は〈石脈〉をロープに使用しているといい,つぎのような説明をほどこしている。〈石脈〉は脯東(ほとう)国に産し,絹糸のように細いものでも万斤の重さを支えることができる。それは石を割って得られる。よりあわすと麻のようになり,〈石麻〉と呼ばれて布に織ることができる。この記事は,石綿と火浣布の実際についてかなり正確な知識を伝えたものとすることができよう。《洞冥記》は漢の郭憲の作品とされているが,5,6世紀のもののようである。
西方でも,ストラボンが〈耐火性のナプキン〉について語り,大プリニウスがそれはアルカディアやインドからもたらされるといっているのは,中国の火浣布に関する記録とよく一致する。日本では,平賀源内が石綿を使って火浣布を製することに成功,江戸にのぼってきたオランダ人に見せ,またそれで作った香敷(こうじき)を長崎出入りの中国人に与えたことを,《火浣布略説》(1765)に述べている。
執筆者:吉川 忠夫
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…少年のころから植物に親しみ青年期にはすでに本草家として知られ,薬品会・物産会開催のたびに収集品を出品している。オランダの書物に載るアスベスト(石綿)の本体を同定して友人の本草・物産家平賀源内に教え,秩父山中でそれを採掘して1764年(明和1)火浣布(燃えない布)をつくった。同じ町内に住む江戸詰の山形藩医安富寄碩にオランダ語を学び,71年江戸参府のオランダ人を止宿先長崎屋に訪ね,解剖学の原書譲渡の情報を得て同僚の杉田玄白に伝え,藩費で購入したのが《解体新書》の原書で,その翻訳グループの一員として当初から参加している。…
※「火浣布」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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