出典 平凡社「普及版 字通」普及版 字通について 情報
古代、外敵の侵入などの事態を急報するための「のろし」をあげる設備。烽(ふう)、烽火(ほうか)、烽燧(ほうすい)ともいう。中国の制に倣ったもの。『日本書紀』継体(けいたい)天皇8年3月条に、伴跛(はひ)国(任那(みまな))が烽候邸閣(とぶひうかみのや)を置いて日本の侵入に備えたという。日本では、天智(てんじ)天皇3年(664)是歳(ことし)条に、対馬(つしま)、壱岐(いき)両島、筑紫(つくし)国などに防人(さきもり)と烽とを置き、また筑紫に大堤を築いて水を蓄えて水城(みずき)としたとある。796年(延暦15)男山(山城(やましろ)国)の烽が有名無実となっていたため山城・河内(かわち)両国境辺に烽を置かせた。烽は原則として40里(約21キロメートル)ごとに置かれ、長2人、烽子4人が交代勤務した。燃やす火炬(かこ)(松明(たいまつ))は、葦(あし)で芯(しん)をつくり、草でくくり、その周りに松明を差し込む。昼は煙を放ち、夜は火を放つ。鎌倉時代元寇(げんこう)の際にも、幕府は壱岐、大島、筑前(ちくぜん)の間に烽を設けて備えた。
[田名網宏]
「とぶひ」とも。煙火による緊急連絡手段,またそれを放つための施設。烽火(ほうか)・烽燧(ほうすい),のちには狼煙(のろし)ともいった。おもに軍事に用いる。弥生時代から存在したが,律令では成文で規定された。40里(約21km)ごとに烽をおき,信号のあげ方,材料の製法,信号を誤った場合の措置などを規定し,烽長(ほうちょう)の管理下で烽子(ほうし)を使役し運用にあたることになっていた。都の周辺や西海道,出雲・隠岐などの諸国でその存在が確かめられる。799年(延暦18)大宰府管内を除き廃止され,その後部分的に復活されたこともあるが,統一的な烽制はやがて衰えた。しかし緊急の通信手段として,軍事的用途を中心として後世まで広く用いられた。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
…これは高さ約60m(一説では110m)の石積塔で,塔の頂部の台で枯草や木に樹脂を混ぜたものを毎夜燃やしたという。 日本では7世紀半ばに壱岐,対馬,筑紫に防人(さきもり)を配し,煙や火によって外敵の侵入を知らせるための施設である烽(とぶひ)を設けたのが始まりといわれ,その位置が遣唐使船の目標に便利だったので,昼は煙をあげ夜は篝火(かがりび)を焚いて目印とした。中世には船舶航行はかなり盛んであり,たいまつなどを燃やして航行の目印とすることは各地で行われたと思われる。…
…今日でもウェールズのブレコン・ビーコンズBrecon Beacons(グウェント州),エクスムアのダンケリー・ビーコンDunkery Beacon(サマセット州)など,ビーコンの語がついた地名がイギリス各地に残っている。 〈のろし〉の字は,中国では杜甫の〈春望〉によって知られる〈烽火〉のほか,〈烽煙〉〈烽燧〉(後述)などと書かれたが,〈狼煙〉と書かれるのは遅くとも唐代になってであった。それは李商隠などの唐詩に散見される。…
※「烽」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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