照葉樹林文化(読み)ショウヨウジュリンブンカ

デジタル大辞泉 「照葉樹林文化」の意味・読み・例文・類語

しょうようじゅりん‐ぶんか〔セウエフジユリンブンクワ〕【照葉樹林文化】

照葉樹林地帯に共通してみられる文化要素によって特色づけられる文化。最大の特徴は、イモ類とアワ・キビ・ヒエ・ソバなどの雑穀の焼き畑耕作。ヒマラヤ山麓から東南アジア、中国南部を経て西日本にかけて分布。

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精選版 日本国語大辞典 「照葉樹林文化」の意味・読み・例文・類語

しょうようじゅりん‐ぶんかセウエフジュリンブンクヮ【照葉樹林文化】

  1. 〘 名詞 〙 照葉樹林地帯に共通の文化的要素によって特色づけられる文化。イモ類、アワ・ヒエ・キビなど雑穀類の栽培、稲作、絹の製造などが大きな特徴。ヒマラヤ山麓から東南アジア北部山地、南中国、日本西部にかけての東アジア暖温帯に分布する。

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改訂新版 世界大百科事典 「照葉樹林文化」の意味・わかりやすい解説

照葉樹林文化 (しょうようじゅりんぶんか)

ヒマラヤの南麓から東南アジア北部山地,雲南山地,華南や江南の山地をへて西日本に至る常緑広葉樹林帯は,カシ,シイ,クスノキツバキなどの,樹葉の表面が光っている照葉樹で構成されているため,照葉樹林帯と呼ばれる。この地帯には多くの民族が住んでいるが,その生活文化の中には数多くの共通の文化要素がある。この照葉樹林帯に共通する文化要素によって特色づけられる文化を〈照葉樹林文化〉と呼ぶ。

 この文化概念をはじめて提唱した中尾佐助によると,ワラビやクズ,あるいはカシ,トチなどの堅果類を水さらしによりあく抜きする技法,茶の葉を加工して飲用する慣行,繭から糸をひいて絹をつくり,ウルシやその近縁種の樹液を用いて漆器をつくる方法,かんきつとシソ類の栽培と利用,こうじを用いて酒を醸造することなどが,共通の文化要素のおもなものとしてあげられた。さらに照葉樹林帯の文化を特色づけるものにサトイモ,ナガイモなどのイモ類のほか,アワ,ヒエ,キビ,シコクビエモロコシ,おかぼなど大量の雑穀類を栽培する焼畑農耕によって,その生活が支えられてきたことがあげられる。また,これらの雑穀類やイネのなかからモチ種を開発し,もち,ちまき,おこわなどのもち性の食品をつくり,それを儀礼食として用いる慣行をこの地帯にひろく流布せしめたことも重要な特色といえる。このほか,若い男女が山や丘に登り,歌をうたい交わして求婚する歌垣の慣行や,生命は山に由来し,死者の魂は死後再び山に帰っていくという山上他界の観念,春の農耕開始に先だって狩猟を行い,獲物の多寡で豊凶を占う儀礼的狩猟の慣行など,山をめぐる各種の習俗にも共通の特色がある。また,〈記紀〉の神話のなかにあるイザナギ・イザナミ型の兄妹神婚神話,あるいはオオゲツヒメなど女神の死体からアワなどの作物が発生する死体化生神話,さらには羽衣伝説花咲爺の説話など,神話や説話の要素でも,照葉樹林帯に共通するものが多い。

 このように東アジアの照葉樹林帯の民族文化のなかにみられる諸特色と日本の伝統的文化の間には,きわめて多くの共通性と強い類似性がみられることが明らかになってきた。その結果,日本の伝統的な文化要素の多くが,東アジアの照葉樹林帯に起源をもつことがわかってきたのである。

 この場合,照葉樹林文化の起源地は,諸要素の分布が集中するアッサムから雲南山地をへて湖南山地に至る〈東亜半月弧〉と名付けられた地域だといちおう想定されうる。また,その発展段階については,初期には野生植物や半栽培植物を利用するプレ農耕段階があり,次にアワ,ヒエ,ソバなどの雑穀といも類を主作物とする焼畑を生業の中心とする段階になって典型的な照葉樹林文化が形成されたと考えられる。この典型的な照葉樹林文化は水田稲作導入以前に日本にも伝えられ,日本の基層文化の特色に大きな影響を与えたと思われる。しかし,農耕技術の発展や灌漑水田の形成などによって,その後,照葉樹林文化の中から水田稲作が分離,独立し,水田稲作文化が成立するようになる。この水田稲作文化の展開によって,典型的な照葉樹林文化は,その特色を失っていったと考えられるのである。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「照葉樹林文化」の意味・わかりやすい解説

照葉樹林文化
しょうようじゅりんぶんか

東アジアの暖温帯には、西はヒマラヤの中腹から東は日本の中南部にわたる常緑広葉樹を原生林とする森林帯がある。この森林は常緑カシの類やクスノキ科の樹木が主力となり、葉は常緑で中形、表面に光沢があるので照葉樹林とよばれ、東アジア特有の森林型である。照葉樹林帯は生態学的にそこに共通の風土の存在を示すものであるが、人間文化の面でも共通性がみられ、それを照葉樹林文化という。照葉樹林文化では初め野生のヤマノイモやサトイモを栽培化し、次に雑穀栽培になったが、これらは焼畑栽培から始まった。稲栽培の開始は、照葉樹林帯に入る東南アジアあるいは雲南省の南部から始まったとされている。

 照葉樹林文化の文化要素は生活に密着した文化要素が著しい。米を粒食し、糯米(もちごめ)を蒸して加工し、副食には魚が常用され、魚醤(ぎょしょう)がつくられる。魚を米の飯で漬けるなれずし作りの習慣も広くみられる。鵜(う)飼いも照葉樹林文化に属する。大豆を栽培し、それから納豆をつくり、茶葉から漬物様の食品をつくったり、飲用に加工したりする。漆の利用は西はブータンから日本に至る地帯にある。同様に絹がこの地帯にあるが、中国以西ではヤママユの類がおもに利用される。酒は麹(こうじ)利用の穀物酒である。

 また歌垣(うたがき)の習慣も照葉樹林帯の民族に広くみられる。このように文化要素は日本からヒマラヤ中腹まで共通点が多く、したがって同一の生活文化の強い影響が広く作用したと考えられる。

[中尾佐助]

『中尾佐助著『栽培植物と農耕の起源』(岩波新書)』『上山春平他著『照葉樹林文化』(中公新書)』『佐々木高明著『照葉樹林文化の道』(NHKブックス)』『佐々木高明編著『雲南の照葉樹のもとで』(1984・日本放送出版協会)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「照葉樹林文化」の意味・わかりやすい解説

照葉樹林文化
しょうようじゅりんぶんか
East Asian evergreen forest culture

ヒマラヤから東南アジア北部山地,雲南・貴州から江南を経て西日本にいたる常緑広葉樹林帯に共通してみられる文化複合。この樹林帯はカシ,シイ,ツバキなどの照葉樹から成っているためこの名がある。中尾佐助が提唱し,上山春平,佐々木高明らが発展させた。中尾によれば,その特徴的な文化要素は,水さらしによるあく抜き法,茶葉の喫飲,絹布,漆器,米麹による酒造など。生業形態は焼畑農耕を主とし,雑穀や稲のモチ種の儀礼食や,大豆を原料とする発酵食品への嗜好がみられる。また,歌垣の慣行や,死者の魂は死後山に帰りそこに住むとする山上他界観念,鵜飼いなどの習俗がみられる。その起源はインドのアッサムから中国の雲南,湖南へいたる地域と想定され,野性植物を作物としたプレ農耕段階から,雑穀とイモ類を主作物とする焼畑農耕段階へと移行し,典型的な照葉樹林文化が形成されたと考えられている。その後,水田稲作文化が成立し,そのなかに照葉樹林文化の多くの要素が取込まれていった。

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世界大百科事典(旧版)内の照葉樹林文化の言及

【農耕文化】より

…水利・灌漑をはじめ,各種の協働を必要とする水田稲作農耕では村落を基盤とする強い社会的統合が生じ,また予祝や収穫(新嘗(にいなめ))の儀礼など,さまざまな農耕儀礼が発達し,それらにいろどられた特有の〈稲作文化〉が,水田稲作農耕の展開に伴って形成された。 他方,東南アジア北部から華南・江南の山地をへて西日本に至る暖温帯の照葉樹林帯では,雑穀農耕文化と古い根栽農耕文化の特色が複合していわゆる〈照葉樹林文化〉が生み出された。上述の稲作文化を析出した母体となったのもこの照葉樹林文化であったと考えられる。…

※「照葉樹林文化」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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