歌垣(読み)うたがき

精選版 日本国語大辞典 「歌垣」の意味・読み・例文・類語

うた‐がき【歌垣】

〘名〙
① 古代、男女が山や市(いち)などに集まって飲食や舞踏をしたり、掛け合いで歌を歌ったりして性的解放を行なったもの。元来、農耕予祝儀礼の一環で、求婚の場の一つでもあった。のちに遊楽化してくる。かがい
古事記(712)下「歌垣(うたがき)に立ちて、其の袁祁(おけの)命の婚(め)さむとしたまふ美人(をとめ)の手を取りき」
② (のちに①が宮廷など貴族にとり入れられて) 一群の男女が相唱和する、一種の風流遊芸。
※続日本紀‐天平六年(734)二月癸巳「天皇御朱雀門歌垣。男女二百余人。五品已上有風流者皆交雑其中
[語誌]「うたかき(歌掛)」の連濁による語で、この場合の「かく(掛)」も古くは四段活用であったか。近年まで与論島に「ウタカキアスビ」「ウタヌカキアイ」などという例(山田実「南東方言与論語彙」)が見られた。

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デジタル大辞泉 「歌垣」の意味・読み・例文・類語

うた‐がき【歌垣】

古代、求愛のために、男女が春秋2季、山やいちなどに集まって歌い合ったり、踊ったりした行事。東国では嬥歌かがいという。
奈良時代には、踏歌とうかのこと。→踏歌
[補説]人々が垣のように円陣を作って歌ったところから、または、「歌懸き」すなわち歌の掛け合いからきた語という。

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改訂新版 世界大百科事典 「歌垣」の意味・わかりやすい解説

歌垣 (うたがき)

男女が集会し相互に掛合歌をうたうことによって求愛し,あるいは恋愛遊戯をする習俗で,年中行事あるいは儀礼として行われることが多い。分布は古代日本のほかに,現代では中国南部からインドシナ半島北部の諸民族において濃密であり,フィリピンやインドネシアにも類似の掛合歌が行われている。中国貴州省南東部のミヤオ族の場合では,歌垣はミヤオ語で遊方といい漢語では揺馬郎という。村には遊方を催す場所が,村はずれの山の背に決められており,2月2日の敬橋節のような祭日や農閑期に行われる。毎晩8時か9時ごろから,夜中の1時か2時ごろまでつづく。女は15~16歳,男は16~17歳になると参加できる。60~70組の恋人が集まり,互いに向かい合って手をつなぎ,軽やかに裏声で恋歌を対唱し,愛情を伝え合い,他の組の邪魔はしない。ベトナム北部のバクニン省の農村では,旧暦3月5日から12日までの村の鎮守の祭りには,毎晩集会所での儀式が終わったあとで,若い人たちは村の門のそばの繁みの下で掛合歌をやった。対になって歌い,その内容は愛をテーマとしていた。それから恋人たちは隠れたところに行って交わったが,その際,少女の同意なしに連れて行くことはできなかった。こうして親密になった二人は,祭日後,結婚することができた。このような歌垣は,元来は集団的な成年式だったと考えられている。歌垣で婚約し,その後,多くの場合は収穫後に結婚式を挙げるというのが古い形式であったろう。この歌垣を催す民族には焼畑耕作をやっているものと,水稲耕作を営むものとの両方が含まれているが,おそらく元来は山地の焼畑耕作文化の要素であったろう。中国南部では,歌垣の習俗とほぼ重なって,結婚しても夫妻は別居し,しばらく一方が他方のところに通い,子どもが生まれてから同居する不落家の習俗が分布し,日本の妻問い婚を思わせる。
執筆者:

歌の掛合い,歌のことばの呪的信仰に立つ男女の唱和,歌争いが歌垣の原義らしい。東国方言カガイも同義か。なぞかけのカケと同意であろう。〈歌垣〉(《古事記》清寧天皇条),〈歌場〉(《日本書紀》武烈天皇条)と字をあてるのは,男女相囲む形や場を意識するためか。《文選(もんぜん)》でカガイに〈嬥歌〉をあてるのは,その踊り歌う意による。春秋,一定の時期・場所に,村々から盆踊に集まるように,老若男女相会して飲食・歌舞し,性を解放した行事である。初めは春の国見と相関したともいうが,ともかく豊作の予祝や感謝と結んだ歓楽であった。場所は,山の高み,野,水辺,また言霊(ことだま)の行きあう衢(ちまた)の市(いち)の広場など,とくに常陸筑波山・童子女(うない)松原(《常陸国風土記》),肥前杵島(きしま)岳(《肥前国風土記》),大和海柘(石)榴市(つばいち)(《万葉集》巻十二。現,桜井市)・軽(かる)(軽市(かるのいち)。《古事記》允恭天皇条。現,橿原市)などが知られ,歌垣山の名も残る(《摂津風土記》)。〈……率(あども)ひて 未通女壮士(おとめおとこ)の 行き集(つど)ひ かがふ嬥歌(かがい)に 人妻に 吾(あ)も交はらむ 吾が妻に 人も言問(ことと)へ……〉(《万葉集》巻九。筑波山)。それは,季節のサイクル,身体性のリズムにも応じて想像力を開く歓楽であり,日常性をこえて聖化されたお祭り騒ぎ,群集のカーニバルであって,神も心をにぎやかにした。〈筑波峯の会(つどい)に娉財(つまどいのたから)を得ざれば児女とせず〉などという俗諺もあった。しだいに農耕を離れ予祝性を低めて,成年・未婚の男女の成年のしるしや求婚・約婚を主とするものも増し,ひとりの女性を争って歌い勝って得るというような場合もあったようである。

 奈良時代中期からは唐の都市の踏歌(とうか)の習俗と混じて宮廷化,芸能化した。王族・貴族や渡来系の氏族の男女230~240人が2列に相並んで,宮廷風に編曲された古曲を唱和した風流な歌舞をも歌垣といい,平城宮で天覧もされ,都市の士女も見て歓を極めたという(《続日本紀》天平6,宝亀1年条)。文学史的には,歌垣の歌はもと性欲的気分や掛合いの機知・悪口などになぞめき,奈良時代の知識階級にはひなびて見えた。また歌の間から抒情の動機もめざめてき,創作詩の構成要素にもとりこまれて,歌い返す女歌の心を複雑にするようにもなった。後の歌合や連歌,懸想文(けそうぶみ)の世界などへも遺響する。行事は西南諸島の毛遊び(もうあそび)その他に遺存する。
執筆者:

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「歌垣」の意味・わかりやすい解説

歌垣
うたがき

記紀万葉の時代に、山、磯(いそ)、市(いち)などに男女が集まって、豊穣(ほうじょう)を祈り、共感呪術(じゅじゅつ)である性の交わり(植物も繁殖に人間と同行為をするという観念から、生産=生殖の信仰)を行った行事。嬥歌(かがい)に同じ。飲食歌舞を伴うこともあり、求婚の場でもあった。農耕予祝儀礼として民俗行事のなかに遊楽化され、今日に伝承されている。『古事記』清寧(せいねい)天皇条に伝える海柘榴市(つばきいち)の歌垣は、美人(おとめ)の大魚(『日本書紀』では影媛(かげひめ))を争う志毘臣(しびのおみ)と袁祁命(おけのみこと)の歌の掛け合いだが、これは信仰圏の産土神(うぶすながみ)を担う巫女(みこ)を祭祀(さいし)者が争った伝承であろう。祭祀者が農耕管轄者でもある祭政一致時代の権力争いである。記紀の伝承に多い男女の邂逅(かいこう)の説話には、信仰圏を統治する権力と巫女の男女の性格をみるべきであろう。『常陸国風土記(ひたちのくにふどき)』筑波(つくば)郡の条に記す筑波山嬥歌会の一節や、『万葉集』巻9・1759の長歌にみる、男女が手を携え山に登り遊楽する行事は、豊作を念じて行われた性の宴(うたげ)であり、今日の民俗行事に連なる予祝儀礼である。今日の民俗では、山遊び、野遊び、磯遊び、ハナミ、ヤマミ、ママゴトなどの呼称をもって春に行われているものが多いが、露骨な性のそれは上代の伝承ほど表には出ていない。未婚男女の婚姻の契機とする地方もある。今日の花見、潮干狩も山磯遊びである春の歌垣的機会の変質してきたものである。小正月(こしょうがつ)に歳神(としがみ)を迎えて夫婦が全裸でいろりを巡り、相互の性を賞賛する東北地方や北関東の消滅した民俗も、共感呪術をもって豊作を祈る民間儀礼であった。

[渡邊昭五]

『渡邊昭五著『歌垣の研究』(1981・三弥井書店)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「歌垣」の意味・わかりやすい解説

歌垣
うたがき

男女による歌のかけあいを中心とする集団的行事。東国ではかがいともいった。もともと国見と結びついた農耕儀礼として始り,予祝的意義をもち,飲食,性的解放などを伴っていた。主として春さき,山上で行われたが,秋の例,水辺の例もある。時代や社会などの変化に伴い,遊楽を中心とするもの,求婚,婚約を中心とするものなどに分化した。貴族社会では歌舞だけが独立して芸能化し,奈良時代末期には中国から移入した踏歌に取って代られることになったが,民間では後代にいたるまで存続した。古代の例としては,大和の海柘榴市 (つばいち) ,常陸の筑波山の歌垣が有名で,摂津の歌垣山,肥前の杵島山 (きしまやま) の例も風土記にみえる。

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百科事典マイペディア 「歌垣」の意味・わかりやすい解説

歌垣【うたがき】

古代の風習で,春秋に多数の男女が飲食を携えて山の高みや市などに集い,歌舞を行ったり,求愛して性を解放したりする行事。東国の方言で【かがい】といった。万葉集や常陸(ひたち)国風土記に見え,常陸の筑波山や大和の海柘榴市(つばいち)で行われたものが名高い。貴族の間で行われるようになると野趣を失い,踏歌(とうか)がこれに代わった。
→関連項目筑波山毛遊び

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「歌垣」の解説

歌垣
うたがき

嬥歌(かがい)とも。男女が歌舞して豊作を祈り,性的結合の場ともなった古代の集団儀礼。春や秋に豊作を祈って行われる農耕儀礼から,やがて歌舞や性的解放に主眼がおかれるようになり,民間の求婚儀礼,宮廷の風流行事へと変化していった。水辺や高い山,市などの聖場で行われ,常陸の筑波嶺や童子女松原(うないまつばら),摂津の歌垣山,肥前の杵島岳,大和の海石榴市(つばいち)などの例が知られている。奈良時代には中国の踏歌(とうか)と結びついたかたちで宮廷化し,734年(天平6)には五位以上を交えた男女240人余,770年(宝亀元)には渡来系の6氏男女230人による盛大な歌垣が催された。歌垣の習俗は中国南部から東南アジアにもみられ,後世の春の山遊びの民俗にもつながる。

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旺文社日本史事典 三訂版 「歌垣」の解説

歌垣
うたがき

古代における集団儀礼で一種の群舞。毎年春秋の2回,時を定め山上や市などの聖場で催された
男女が列をなして恋愛・求婚の歌をうたい,踊って配遇者を選び性の解放を謳歌した。東国では嬥歌 (かがい) といい,筑波の嬥歌が有名で『万葉集』にも詠まれている。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「歌垣」の解説

歌垣 うたがき

九鬼隆度(くき-たかのり)

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世界大百科事典(旧版)内の歌垣の言及

【ウメ(梅)】より

…病害は黒星病,炭疽(たんそ)病,菌核病などのほかにも多く,病気にかからぬように注意し,害虫もウメケムシ(オビカレハ)やウメスカシクロハ,ウメエダシャクなどの被害もあるので,防除をして育成することが必要である。【中村 恒雄】
【文化史】

[中国]
 中国において,ウメが早春の花として観賞され,詩歌の題材とされるようになったのは後世のことで,古くはその果実に関心があり,スモモ,アンズ,モモなどとともに野生の実が採取され,また《詩経》国風の〈摽有梅〉の詩に歌われたように,春の歌垣(うたがき)に際し,男女がウメの実を投げて配偶者を求め,また愛情のあかしとして贈答する風習があった。果実は保存食となり,またその酸味が調味料として用いられたので〈塩梅(あんばい)〉の語もある。…

【芸能】より

…大嘗祭に催された琴歌神宴(きんかしんえん)や平安朝中期以来12月の恒例行事となった内侍所御神楽(ないしどころのみかぐら)などがそれである。また《風土記》《万葉集》に見える歌垣・嬥歌(かがい)は,春の耕作始め,秋の収穫祝いの祭事として男女が山に登り,歌を応酬したもので,のちに中国の正月儀礼の踏歌(とうか)と習合して宮廷の芸能となる。 祭りの場の歌舞をいち早く芸能化したのは6,7世紀以来急速に国家体制を固めるようになった大和朝廷で,隼人(はやと),国栖(くず)など諸国の部族が服従のしるしに献(たてまつ)った歌舞が逐次宮廷の儀式に演ずる華麗な風俗舞(風俗(ふぞく))として定着するようになった。…

【照葉樹林文化】より

…また,これらの雑穀類やイネのなかからモチ種を開発し,もち,ちまき,おこわなどのもち性の食品をつくり,それを儀礼食として用いる慣行をこの地帯にひろく流布せしめたことも重要な特色といえる。このほか,若い男女が山や丘に登り,歌をうたい交わして求婚する歌垣の慣行や,生命は山に由来し,死者の魂は死後再び山に帰っていくという山上他界の観念,春の農耕開始に先だって狩猟を行い,獲物の多寡で豊凶を占う儀礼的狩猟の慣行など,山をめぐる各種の習俗にも共通の特色がある。また,〈記紀〉の神話のなかにあるイザナギ・イザナミ型の兄妹神婚神話,あるいはオオゲツヒメなど女神の死体からアワなどの作物が発生する死体化生神話,さらには羽衣伝説や花咲爺の説話など,神話や説話の要素でも,照葉樹林帯に共通するものが多い。…

【花見】より

…桜の開花期に合わせたもので,花見が本来,宗教的な儀礼であったことをうかがわせている。《常陸国風土記》には,秋の紅葉の季節とともに,春の花の季節に,人々が飲食物をたずさえて筑波山に登り,歌垣(うたがき)をしたとある。これも花見の伝統につながる習俗であろう。…

※「歌垣」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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