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熊谷守一 くまがい もりかず

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美術人名辞典の解説

熊谷守一

洋画家。岐阜県生。東美校卒。文展入選後、母の死を機に木曽山中で樵夫などをして五年間を過ごすが、斎藤豊作らのすすめで上京し、二科会会員となる。戦後は二紀会創立に参加したが、のち退会する。作風は次第に色と形が単純化し、独自の様式が確立された。また水墨画、書も能くする。文化勲章や叙勲を辞退し「画壇の仙人」と称された自由な生活と制作に晩年をおくった。昭和52年(1977)歿、97才。

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朝日新聞掲載「キーワード」の解説

熊谷守一

1880(明治13)年、現在の中津川市付知町に生まれた。東京美術学校(現東京芸術大)で学び、油彩から始めた画業は日本画や書、墨絵にも広がった。単純化した構図で深い精神性を表現した。都内の自宅の小さな庭で虫や花などを観察して描き続け、「画壇の仙人」とも呼ばれた。文化勲章を辞退した逸話も残る。1977(昭和52)年、97歳で死去。

(2014-08-22 朝日新聞 朝刊 岐阜全県 1地方)

出典|朝日新聞掲載「キーワード」
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デジタル大辞泉の解説

くまがい‐もりかず【熊谷守一】

[1880~1977]洋画家。岐阜の生まれ。フォーブ的な画風から単純化された色面構成の独自の画境を開く。

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百科事典マイペディアの解説

熊谷守一【くまがいもりかず】

洋画家。岐阜県生れ。東京美術学校洋画科選科卒。初期文展に出品し,特に《蝋燭》が注目された。のち二科会に参加,戦後二紀会創立に加わったが,1951年以後は無所属
→関連項目有島生馬岐阜県美術館

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

熊谷守一 くまがい-もりかず

1880-1977 明治-昭和時代の洋画家。
明治13年4月2日生まれ。42年文展で「蝋燭(ろうそく)」により褒状をうける。大正5年二科会にはいり,「陽(よう)の死んだ日」などを発表。戦後二紀会創立に参加し,のち退会。後年は形と色を単純化し,無所属で自由な制作をつづけて「画壇の仙人」とよばれた。昭和52年8月1日死去。97歳。岐阜県出身。東京美術学校(現東京芸大)卒。自伝に「へたも絵のうち」。

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大辞林 第三版の解説

くまがいもりかず【熊谷守一】

1880~1977) 洋画家。岐阜県生まれ。東京美校卒。代表作「陽の死んだ日」など。

出典|三省堂
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

熊谷守一
くまがいもりかず

[生]1880.4.2. 岐阜
[没]1977.8.1. 東京
洋画家。 1904年東京美術学校西洋画選科卒業。約2年間農商務省の調査隊員として,樺太 (サハリン) 各地を写生。 08年『肖像』が文展初入選,翌年『蝋燭』で同展の褒状を受けた。 10年母の死を機に帰郷,制作から遠ざかったが 15年再上京。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

熊谷守一
くまがいもりかず
(1880―1977)

洋画家。岐阜県生まれ。1904年(明治37)東京美術学校西洋画科を青木繁(しげる)らと卒業し、翌年から農商務省の樺太(からふと)(サハリン)調査隊に加わった。08年第2回文展に初入選し、翌年の文展で自画像『蝋燭(ろうそく)』により褒状を受ける。その後数年間を郷里に過ごし、15年(大正4)上京して第2回二科展に出品、翌年二科会員。第二次世界大戦後の47年(昭和22)二紀会の結成に参加・出品するが、51年に退会。昭和初めの『陽(よう)の死んだ日』などに独自のフォーブ風を示したが、戦後は澄明な色彩による平面的装飾画風に移り、『鬼百合(おにゆり)に揚羽蝶(あげはちょう)』などに独特の詩境を開いた。[小倉忠夫]

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ) この辞書の凡例を見る
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世界大百科事典内の熊谷守一の言及

【明治・大正時代美術】より

…また坂本繁二郎は,東洋的な,浪漫的な心情を,光と影の色面に表現する独自の絵画世界をつくりだした。このほか二科会は,熊谷守一(もりかず)(1880‐1977),正宗得三郎(1883‐1962),中川紀元(きげん)(1892‐1972),鍋井克之(1888‐1969),小出楢重,国枝金三(1886‐1943),黒田重太郎(1887‐1970),林倭衛(しずえ)(1895‐1945),硲(はざま)伊之助(1895‐1977),関根正二,古賀春江,東郷青児(1897‐1978)ら,大正・昭和期の洋画界をリードする数多くの新人を世に出している。 二科会結成と同じ年,前年世を去った岡倉天心の一周忌を期して,日本画の横山大観,下村観山,木村武山(1876‐1942),安田靫彦,今村紫紅に洋画の小杉放庵を加えて,開店休業状態になっていた日本美術院が,洋画部も新たに設けて再興されている。…

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