明治後期から今日まで,被差別部落とその出身者に対して用いられてきた差別呼称。被差別部落問題への無理解と深刻な部落差別意識を根底に潜めた差別語であり,適用が避けられるべきであるが,近代における部落問題の歴史と部落差別意識を解明するうえできわめて重要な言葉である。この言葉は,1907年の政府の全国部落調査の際に用いられたように,日露戦争後の部落改善政策の中で行政機関が使い,新聞記事などによって民衆の間にも広まったが,主として被差別部落の起源を異民族に求め,部落の人々の祖先を古代の朝鮮半島からの〈渡来人〉や律令国家の征服した〈蝦夷(えぞ)〉などとする誤った歴史認識にもとづくものである。それゆえに明治・大正期には,しばしば〈特種部落〉とも記されていた。被差別部落の人々の祖先は,天皇家によって統一された日本民族の内部では〈異種〉であり,神聖な〈貴種〉に対比して〈賤種〉であると賤(いや)しめたのである。この誤った認識は,旧来の〈えた〉,さらにいわゆる〈解放令〉以来の〈新平民〉などのさまざまな蔑称(べつしよう)をともなう差別意識をひきつぎつつ,明治以降の日本の朝鮮侵略と植民地支配を通じて強まった朝鮮民族蔑視の差別観念と表裏の関係で,民衆の中に浸透した。資本主義の発達にともなう被差別部落の貧困と劣悪な環境に対する蔑視・差別のみならず,朝鮮支配の歴史と現実も正当化・合理化する役割を果たしたといえよう。
被差別部落の人々は〈特殊〉視に強く反発して,1912年11月,内務省主催の全国細民部落改善協議会に〈特種部落等ノ名称ヲ用ヒサル様〉に要望した。22年の全国水平社創立大会における〈水平社創立宣言〉は〈全国に散在する我が特殊部落民よ,団結せよ〉という文言で始まるが,いうまでもなく被差別部落の人々自身がみずからのことを称するのには,当時,一般的に流布していた語を採用するほかはなく,また,そうすることによって,過酷な被差別の歴史と現実を共にするものの決意と団結の必要を強く自覚したからにほかならない。同時に,この大会は〈吾々に対し穢多及び特殊部落等の言行によって侮辱の意志を表示したる時は徹底的糾弾を為す〉と決議して,各地の被差別部落の人々を差別撤廃に奮起させた。日本国憲法の下で国民の人権意識が高まり,部落問題の理解が深まってきた現在でも,依然として被差別部落を指すのにこの呼称を用いたり,あるいは特定の集団や地域の説明に,この呼称を比喩的に用いることによる部落差別がなお跡を絶たない。この差別呼称の誤りを改め,被差別部落問題への正しい認識をもつことは,国民教育の重要な課題である。
→被差別部落 →部落解放運動
執筆者:川村 善二郎
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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