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狄仁傑 てきじんけつDi Ren-jie; Ti Jên-chieh

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

狄仁傑
てきじんけつ
Di Ren-jie; Ti Jên-chieh

[生]貞観4(630)
[没]久視1(700).9.26. 洛陽
中国,則天武后朝の名臣。并州太原の人。字は懐英明経から諸官を歴任,武后の天授2 (691) 年宰相となり,翌年讒 (ざん) にあい貶 (おと) されたが,神功1 (697) 年再び宰相に任じられ,内史で没した。硬骨の人で,武三思立太子をいさめて断念させ,唐の国祚を守った。張柬之 (かんし) ,姚崇 (ようすう) らのちの名臣を多く推薦し,晩年国老として武后に重んじられた。

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世界大百科事典 第2版の解説

てきじんけつ【狄仁傑 Dí Rén jié】

630‐700
中国,唐代則天武后朝の宰相。幷州,太原(山西省太原)の人。明経科に及第して中央・地方の官職を歴任,691年(天授2)宰相となった。密告政治や契丹突厥(とつくつ)の外寇などただならぬ時世にあって彼自身も一時酷吏に陥れられたが,武后の信任をよりどころに,一貫して無軌道な政治の是正につとめた。中宗復位を武后に勧めたのも彼であり,その志は彼の推挙した張柬之(ちようかんし),姚崇(ようすう)らの賢才たちによって実現された。

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大辞林 第三版の解説

てきじんけつ【狄仁傑】

630~700) 中国、初唐の政治家。字あざなは懐英。高宗の時、巡撫使として地方行政に手腕を振るい、また、突厥とつけつ・契丹と戦い功をたてた。則天武后に宰相として重んぜられ国老と呼ばれた。

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世界大百科事典内の狄仁傑の言及

【廟】より


[中国]
 中国では,一般に仏教など外来宗教の建物を〈寺〉というのに対し,中国固有の宗教建築を〈廟〉とよぶ。ただし,道教の寺院は〈観〉または〈宮〉であり,ラマ教寺院は〈廟〉とよばれることもある。清朝の皇帝の避暑地,河北省承徳市に現存する普陀宗乗廟はその代表例である。廟はほんらい祖霊をまつる宗廟のことであったが,のちにその領域が拡大され,超能力を具有すると信じられた死者,自然物,動物などをまつる民間の〈祠〉も廟ないし祠廟とよぶようになった。…

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