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中国,宋末・元初の画僧。生没年不詳。玉と号した画家は,瑩(けい)玉澗,芬(ふん)玉澗,彬(ひん)玉澗,孟玉澗の4人が知られているが,《瀟湘(しようしよう)八景図》や《廬山図》の作者として日本で有名なのは,芬玉澗と考えられている。芬玉澗の俗姓は曹氏,金華(浙江省)の人で,法名を若芬,字を仲石,号を玉澗といった。出家後,杭州天竺寺書記となり,各地を歴訪して山水をかいた。その作品は,唐の潑墨画風を伝える粗放な水墨画である。
執筆者:戸田 禎佑
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中国の画家。南宋(なんそう)時代の水墨山水画の名品『廬山(ろざん)図』『瀟湘(しょうしょう)八景図』(ともに重要文化財、個人蔵)を描いた画家。いわゆる玉澗画は室町時代に輸入されて高く評価され、とくに雪舟の『破墨山水図』に直接の影響を与えている。ただ南宋から元(げん)代初めにかけて、玉澗といった画家には彬(ひん)玉澗、若芬(じゃくふん)玉澗、瑩(けい)玉澗がおり、元では孟(もう)玉澗の名が知られている。このなかで若芬玉澗をあてる考えが室町期より有力であったが、当時より瑩玉澗とする見解もあり、現在も解決をみていない。若芬玉澗は、浙江(せっこう)省金華出身の天台宗の僧で、字(あざな)を仲石(ちゅうせき)といい、上天竺(かみてんじく)寺の書記であったが、諸国を遍歴して晩年郷里に隠棲(いんせい)し、墨梅、竹石のほか、西湖、瀟湘など山水を描いたと伝える。瑩玉澗は杭州(こうしゅう)西湖の浄慈寺の禅僧であったと伝える。ともに生没年不詳。
[星山晋也]
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…この百数十年間は,政治的要因によって強いられた南北対立の時代であると同時に,対立する南北のそれぞれに絵画史的な意味での南北対立が見られる複雑な時代でもあった。例えば,南宋四大家が北宋山水画の大観的な空間表現を単純化し,より限定された表現素材の組合せによるものに変えていったのに対して,造形素材の効果を重視する方向は北宋山水画の空間構成を一部で継承しつつ,なお牧谿,玉澗らの禅余画家によって探究されていったのである。 続く元の時代は,その意味で,自己の伝統を伝統として自覚し再把握すべき時期であった。…
※「玉澗」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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