生方たつゑ(読み)うぶかたたつえ

日本大百科全書(ニッポニカ) 「生方たつゑ」の意味・わかりやすい解説

生方たつゑ
うぶかたたつえ
(1905―2000)

歌人三重県宇治山田(伊勢(いせ)市)生まれ。日本女子大学家政科卒業。今井邦子(くにこ)、松村英一師事。1963年(昭和38)に『浅紅(せんこう)』を主宰歌集は『山花集』(1926)、『雪の音譜』(1954)、『青粧』(1955)、『白い風の中で』(1957・読売文学賞受賞)、『野分のやうに』(1979・迢空(ちょうくう)賞受賞)などがある。詩性の高い作品が多く、冷たい言語感覚によって、内面感情をとらえた作品は氷の花のように美しい。『毎日新聞』『サンケイ』新聞(現『産経新聞』)などの選を受け持って活躍、日本歌人クラブ幹事を務めた。85年、群馬県沼田市に短歌専門の図書館として生方記念文庫が設立された。

菱川善夫

 椎(しひ)のはなあまく苦しき夜なれば痙攣(けいれん)のする目を見るなかれ

『『定本生方たつゑ全歌集』(1979・角川書店)』『『現代短歌集成 生方たつゑ』(1995・沖積舎)』『上田三四二著『現代歌人論 生方たつゑ』(1969・読売新聞社)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「生方たつゑ」の意味・わかりやすい解説

生方たつゑ
うぶかたたつえ

[生]1905.2.23. 三重
[没]2000.1.18. 群馬,沼田
歌人。日本女子大学家政科を卒業。結婚して群馬県沼田市に住む。1932年頃から作歌を始め,アララギ派の今井邦子に師事し,1936年に歌誌明日香創刊に参加。上州の厳しい風土を感じさせる緊張感に満ちた作品群は「硬質ガラス叙情」と形容され,歌壇一線に立った。第2次世界大戦後の 1949年に『女人短歌』の創刊に参加,1963年『浅紅(せんこう)』を創刊,主宰する。産経新聞や毎日新聞などの歌壇選者を務め,日本歌人クラブ代表幹事,現代歌人協会理事などを歴任。作歌指導のほかに随筆,評論にも幅広く活躍した。歌集に『白い風の中で』(1957,読売文学賞),『野分のやうに』(1979,迢空賞),評論に『王朝の恋歌』『万葉歌抄』など著書多数。(→短歌

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「生方たつゑ」の解説

生方たつゑ うぶかた-たつえ

1904-2000 昭和-平成時代の歌人。
明治37年2月23日生まれ。今井邦子に師事し,昭和10年第1歌集「山花集」を刊行。24年「女人短歌」の創刊に参加し,編集委員をつとめる。38年「浅紅(せんこう)」を創刊,主宰。写実から出発し,心象詠に独自の境地をひらいた。33年「白い風の中で」で読売文学賞,55年「野分のやうに」で迢空(ちょうくう)賞。平成12年1月18日死去。95歳。三重県出身。日本女子大卒。旧姓は間宮。

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百科事典マイペディア 「生方たつゑ」の意味・わかりやすい解説

生方たつゑ【うぶかたたつえ】

歌人。三重県生れ。《アララギ》の歌人,今井邦子に師事して,1936年,《明日香》創刊に参加,その後《女人短歌》《国民文学》に参加。1935年の第1歌集《山花集》以後,《浅紅》,《青粧》,《白い風の中で》(1957年。読売文学賞),《野分のやうに》(1970年。迢空賞)など20冊に及ぶ歌集を発表してきている。1963年,歌誌《浅紅》を創刊主宰。

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