改訂新版 世界大百科事典 「産業衛生」の意味・わかりやすい解説
産業衛生 (さんぎょうえいせい)
industrial hygiene
近代社会にあっては,労働者は職業に就くことによって分業化した産業労働に参加する。産業労働は,企業を中心とした産業活動によって組織され編成されるが,実際の産業活動において,企業の計画が労働者のための保健衛生に適しているとは限らない。すなわち企業の関心が資材と生産技術の効率的な組合せに集中し,労働者を災害や職業性の健康障害から守ることがなおざりにされることがしばしばである。そこで,労働者の人間としての能力を適正に発揮させるための計画や,労働者の人間生理に見合った環境や作業方法,作業量を設定するための検討を行い,産業現場の労働の編成や,環境,機械・装置を健康を維持できるように計画したり,すでにでき上がった不適切なものを修正する活動が必要となる。これが産業衛生(労働衛生)である。最近では,労働者の健康増進,保健管理も広く含めて,産業保健industrial healthあるいは職業保健という言葉も用いられる。
産業衛生は,労働者の災害と疾病の予防を目的とすることから,事前の産業労働の衛生的な設計が基本的な課題とならなければならないが,歴史的には,不適切な産業活動の有害な影響を調査し,これを改善させていくという長い活動の歴史がある。その過程で,具体的な活動の経験を蓄積し,しだいに予防的な考え方と方法を実際化し,これを体系化し,産業活動のあり方や実際の計画に対して衛生上の警告を発し,予防的な計画を提示する学問が育てられてきた。これが産業衛生学(産業保健学)である。
WHO(世界保健機関)とILO(国際労働機関)が合同して開催した職業保健合同委員会(1950)は,これまでの経験をまとめ,〈産業(職業)保健〉を〈あらゆる職業における労働者の最高度の肉体的,精神的ならびに社会的健康を維持増進し,作業条件にもとづく疾病を予防し,健康に危険な作業に就業させないように図り,労働者を生理的にも心理的にも適合した職業環境に配置して就業せしめること,約言すれば,労働を人に適合させ,各個人をその職務に適合させることである〉と定義した。
歴史的な経過
労働に際しての健康上の有害な影響については,古くから知られていた。古代エジプトのパピルスには,苦しい労働で健康を損なう労働者の姿が生々しく描かれているという。ヒッポクラテス(前5~前4世紀)は,職業が病人を観察する際のたいせつな観察事項であると述べている。産業がしだいに大規模になるにつれて,産業労働に伴う危険も大きくなり,この危険を回避するための方策が工夫されるようになる。16世紀のG.アグリコラの著書《デ・レ・メタリカ》には,すでに鉱山における科学的な研究の体系が記されているが,そのなかには坑内の排水,換気などの環境整備のための衛生工学の実際,坑内の環境や労働の非衛生的な状態による災害や病気の生々しい記録が詳細に記され,鉱山を維持するための工学,衛生学,社会経済学の総合の必要性が述べられており,産業衛生の基本的認識がすでにできあがっていることがうかがえる。同じころパラケルススの《鉱夫病とその他の鉱山病》(1533-34),ついでシュトックハウゼンの《一酸化鉛の有害煙気による病気と鉱夫肺労》(1656)が著され,やがてイタリアのラマッツィーニBernardino Ramazzini(1633-1714)の《働く人々の病気De morbis artificum diatriba》(1700)が現れ,ヒッポクラテス以来の職業と健康に関する知識が集大成された。ほぼ同時代の日本には,佐渡の金山で,坑内の換気のために通気坑を3年がかりで掘ったという記録(1663)や,珪肺(よろけ)の記録(1756)があるが,産業の規模は小さく,産業衛生活動はヨーロッパとは比べられないほど遅れていた。
イギリスに始まった産業革命によって生み出された労働者の健康上の諸問題は,こうした蓄積の上にたつ産業衛生の近代的な展開を促すことになった。新しく誕生した労働者階級の生活と労働の状態の改善の要求も高まり,産業衛生の課題は,過長な労働時間の短縮をはじめとした労働条件の改善,母性保護と年少者の保護,職業病の補償と予防などがとり上げられていった。一方,産業の効率的な展開のために,都市に労働者の居住地域が集団的に形成され,非衛生的な劣悪ともいうべき環境のもとでの生活状態が広がり,その地域が伝染病流行の恐怖の源になってしまったことが,近代公衆衛生運動のきっかけとなったことは有名である。すなわち,産業革命の時代のなかから,近代の産業衛生と公衆衛生が発展していったということができる。日本でも,明治以降の産業の興隆に伴う産業衛生の活動は,当時の中心的な産業であった紡績産業の女子労働者の徹夜労働の廃止と肺結核の対策をはじめ,すべての産業での過長な労働時間の短縮が課題となって始まった。
戦後の日本では,労働災害や職業病の発生や,職業別の平均余命の格差,女性労働者の妊娠中毒,早死産の発生などにみられた産業衛生の深刻な状況は徐々に改善され,労働の人間化をめざす方向が育てられてきた。しかし,技術革新,ME化や産業活動の高度の組織化,経済競争の激化は,労働者の神経緊張を高め,精神活動の調和を乱し,精神衛生(メンタルヘルス)が重要になってきた。1980年代から目立つようになったいわゆる過労死問題は,循環器疾患を持つ労働者の過重な負担による過労死,過度の疲労,緊張からうつ病になり自殺にいたる事例が中心で,日本社会の社会的病理現象の典型といわれている。ヨーロッパ工業先進国と比べ,労働時間短縮,週休2日制,年休完全取得などの著しい遅れや,労働条件の人間的な再編成への遅れ,仕事本位の管理の強化などの是正が重要な課題である。
産業衛生の今日の課題
労働の人間化をめざす産業衛生の今日の具体的な課題を次に記す。(1)労働の適正化(ヒューマン化)。(a)労働時間,休憩,休日,休暇,(b)労働の編成 交代勤務,夜勤,作業分担,ノルマ,作業密度,(c)作業内容,作業姿勢,作業動作。(2)安全にして衛生的な職場環境の確立。(3)婦人,年少者の保護,中高年者の対策。(4)労働適性 職業適性,病弱者の保護と職場配置。(5)健康管理 疾病予防,療養者のアフターケア,職場復帰。(6)職業性健康障害,災害の治療,補償。
これらの課題の一部(たとえば(1)の(a),(2),(3)の一部,(6)など)は事業主の責任として,労働基準法,労働安全衛生法に定められている。ILOは近年の課題として,単調・不快労働の減少や,労働力の社会的な意味での回復を重視し,技術革新による精神ストレス,心身症などの健康障害防止,機械設備の設計段階での人間工学的チェックを安全衛生活動の一環としてとり上げるように勧告している。1972年制定の労働安全衛生法に基づく〈快適職場環境形成〉についての国の指針(1996年)は,こうした方向を促進するものである。
産業衛生と地域保健
産業活動が立地条件によって,地域の生活環境に重大な影響を与え,自然の破壊を招くようになったのは,20世紀後半である。とくに,都市とその周辺に立地を求めて産業が大規模な活動を展開するようになってからは様相が一変した。産業構造からみれば,それは,製鉄,石油化学,火力発電の成長が大きくかかわっている。ここから,産業衛生が,労働の場と生活の場をつなぐ保健衛生の理念で貫かれている必要のあることが理解されるようになった。日本で,産業現場での化学物質を,工場周辺の環境汚染の問題も含めて規制する法律ができたのには,このような背景がある。一方,社会の変化発展にともない,生活のなかで労働の健康影響と生活環境,生活条件の健康影響とを関連させて検討する必要性が高まってきたことも見逃せない。たとえば,職場での疲労をいやす家庭や地域社会の状態は,産業の高度成長の直接的な影響下に入り,その内容に大きな変化が生まれ,生活負担は複雑で,労働者のストレスは職場から家庭,社会までも続いている。また,個々人の家庭を単位とする生活設計が,社会的な産業政策と密接に結びつけられているような状況や,中小零細な企業での衛生管理,健康管理の充実を図るためには,地域的な公共サービスを利用していく必要性があるという状況も,産業衛生の地域保健との結びつきを促す背景である。1996年の労働安全衛生法の改正による〈小規模事業場産業保健活動支援促進事業の実施〉は,ようやくこの方向に踏み出した施策といえる。
→産業中毒 →職業病
執筆者:山田 信也
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報