職業病は,職業労働に伴う職業因子の影響によって発生した健康障害の総称で,職業に起因した疾病ともいえる。職業性の健康障害は,特定の職業にのみ発生するもの(狭義の職業病),一般にも発生する疾病が職業性の因子によって発生したもの,すでに存在した健康障害が職業因子の影響によって悪化したもの(例,高血圧者に過重な負荷が加わって発生した脳出血)などが含まれる。日本の労働基準法75条の定めでは,職業性の健康障害のうち,業務との因果関係が認められ,治療を必要とするものを業務上疾病と定め,それを労働基準法施行規則35条の別表第1の2に列記している。これを表に示す。
表に示された〈健康に有害な影響を与える職業性の因子〉は,(1)作業環境に関するもの(二,四~七),(2)作業方法に関するもの(三)に大別することができる。個別に明示されていないもので,業務との関連が認められるものは,各項の最後に示されてある一般規定を適用することになっている。この表は,1947年に公布されてから長い間一度も改正されなかったのが,新しい化学物質の使用,新しい機械・装置の導入や,それに伴う労働態様の大きな変化に対応できなくなって,78年に初めて改正されたものである。以前のものに比べて次のような特徴がある。すなわち,いくつかの分類が新たに設けられ,身体に過度の負担のかかる作業態様,粉塵(ふんじん),癌原性因子(工程)という分類が新しく生まれたこと,以前〈その他業務に起因することが明らかな疾病〉という一般条項に含まれていた腰痛,頸肩腕障害が作業態様の項で特定されたこと,振動障害も,振動を発生する工具取扱いの負担による障害の性格が強いことから,物理的因子の項ではなく作業態様の項に含まれたことなどは,こうした日本の労働実態の新しい変化を反映したものであり,諸外国にみられない大きな特徴である。
職業病としてこれまであまり取り上げられなかったが,技術革新や近年のエレクトロニクス技術の導入,ロボットの導入などによって,事務,現業いずれの部門でも,労働態様や作業の編成が著しく変化しつつあるなかで,しだいに重要になってきたものとして,(2)に含まれる作業仕組みや作業の組織のしかたにかかわるもの(例,交代制勤務での勤務や休息の不適切な配置,長時間の労働,過密で緊張度の高い労働,特定の身体機能への過大な負荷など)がある。ベルトコンベヤ作業などで,過密な労働による頸肩腕障害をはじめとしたいろいろな健康障害が発生し,また交代制勤務での過重な負担や,合理化での過労などによる健康障害や急性死が発生し,新技術導入への対応が急がれるあまりに発生した健康障害(例,近年のVDT作業での視力低下,眼精疲労)などが業務上疾病として認定される例が増えてきていること,ILOの1980年の職業病リストの追加のための会議で,今後の検討課題として過緊張とストレスが挙げられたことなどは,その実際例で,今日の産業労働の世界的な共通の傾向を示すものである。
職業性の健康障害の発生には,上記の諸因子が相互に関連し合っていることを重視せねばならない。たとえば,高温や寒冷などが他の環境因子による障害や,作業方法の因子による障害の発生を強めたり,不適な作業方法(大きな作業強度,期末の繁忙や長時間残業の集中などでの作業量の過大など)が引金になって障害が顕在化したりする。また作業強度や作業量が大きいため,環境因子の影響が大きくなることも多い。不適な作業方法によって存在していた慢性疾患が悪化したりする例がある。循環器疾患をもった労働者が過労によって症状が悪化し,死亡する過労死などはその代表例である。これらは業務上疾病として取り扱われる。
労働者の若・高年齢,女性,作業の未熟練,負担の大きい生活条件(低栄養,生活環境の汚染,長時間あるいは過密な通勤,婦人での育児・家事の負担など),病的状態などの個体の側の要因は,職業病の罹患を容易にする。
件数の推移には,認定基準の厳しさの程度が大きな影響を与えるので,認定件数が職業病発生の実態を十分反映していない面があるが,70年3万0796件,80年1万8644件,90年1万1046件,95年8713件である。このうち,減少は表の(1)業務上の負傷に起因する疾病で,(3)の振動障害,(5)のじん肺症が漸増で,他は横ばいの傾向である。1995年の業務上疾病は,病名別では,負傷に起因するもの5000件,じん肺症等1395件,癌を除く,化学物質によるもの248件,癌69件,振動障害578件,非災害性腰痛37件,頸肩腕障害149件(1%)などである。(8)のその他は1088件で,このうち過労死に相当する脳血管疾患43件,同じ虚血性心疾患は33件,合計76件である。
民間労働者については労働者災害補償法で,船員については船員保険法で,公務員については公務員災害補償法で,公社職員についてはそれぞれの公社の補償制度で実施される。労働者災害補償法では,業務上の認定がなされれば,医療給付は全額支給,休業補償は平均月収入の60%と特別加算給付20%で,他の場合もこれに準ずる。災害補償保険は,健康保険の場合と異なり,使用者の故意,過失の有無にかかわらず使用者の責任で補償するもので,保険掛金は全額,使用者の負担である。
職業病の発生原因を分析して,どのような因子が有害であったのか,どのような条件が満たされていたら発生を防げたかを検討することによって,予防の方法が明らかになる。労働省は,そうした検討に基づき予防のために次の10の個別の法規を定めている。有機溶剤中毒予防規則,鉛中毒予防規則,アルキル鉛中毒予防規則,特定化学物質障害予防規則,電離放射線障害防止規則,高気圧作業安全衛生規則,酸素欠乏症等防止規則,じん肺法,粉じん障害防止規則,事務所衛生基準規則。今後こうした個別の法規はなお増えていくことが予測され,そうしたものが総括されて職業病に関する体系的な法規が整備されることが期待されている。予防としては,作業状況の変更,新しい技術,化学薬品,機械装置などの導入に当たって,事前に衛生工学的,労働衛生学的な検討を行うことが原則であり,ついで定期的な環境や作業方法のチェックを行うことがたいせつである。個人については,定期的な健康診断をすすめて健康異常を早期に発見することが基本である。
→産業衛生 →職業癌
執筆者:山田 信也
職業病の原点は,人類最初の専門業といわれる採鉱冶金業を営む鉱山にあった。そこはまた人間が初めて有害物質をつくり出した現場でもあった。古代ギリシア人はすでに銀山で鉱毒や水銀中毒があることを観察していた。近代文明の夜明けを告げる鉱山業がヨーロッパに勃興したときG.アグリコラは鉱山学の書物《デ・レ・メタリカ》(1556)第6巻で,鉱夫特有の疾病について記述している。〈空中に飛散する塵がおこす肺の病気〉とは,おそらく喘息をともなう塵肺の一種であり,また〈黒い有毒物によって腫瘍となり骨の髄まで冒す病気〉とは,19世紀になって肺癌であることが明らかにされた。これについてはパラケルススも《鉱夫病》(1567)の中で述べており,原因はヒ素あるいは放射能と考えられる。
ヨーロッパに工場制手工業が発達しはじめた1700年に,イタリアの医師ラマッツィーニBernardino Ramazzini(1633-1714)によって職業病の古典といわれる《働く人々の病気》が書かれた。そこには鉱夫,鍍金屋,化学者,陶器師,鍛冶屋,薬剤師,染物屋,油製造人,石屋,織物工,農民,漁夫など50余の職種について,その労働環境に起因する疾病が詳細に記述されている。また75年イギリスの外科医ポットPercival Pott(1714-88)は煙突掃除人の職業病といえる陰囊癌がすす(煤)に原因があることをつきとめた。近代イギリスで煙突掃除に従事していた貧民の少年たちは,いわば職業癌患者第1号といえる。
執筆者:立川 昭二
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
ある病気が、職業に原因があっておこった場合に、その病気を職業病という。したがって、ある病気が職業病と決められるためには、その病気と、その人が従事している、あるいは従事していた職業との間に因果関係のあることが証明されなければならない。証明するためには、職業の内容、勤続年数、作業条件や作業方法、作業現場の環境、患者の症状を詳しく調べる必要がある。なお、職業病とよく混同するものに業務上疾患がある。これは、労働者が業務上で負傷したり病気になった場合に、「労働基準法」第75条・76条・77条などによって、必要な療養に要する費用や、休業し療養中の労働者に対する賃金の支払いを使用者が行うものである。すなわち、業務上疾患とは補償を必要とする疾病や負傷をいう法律用語であり、職業病と同一ではない。
また、有害な労働環境および労働条件の改善や、産業技術の進歩に伴う作業の自動化が普及したことなどにより、かつてのような単一の労働要因に起因して発症する職業病は減少した。かわって、長時間労働や、長時間一定姿勢を保持しなければならない作業などの労働要因に、作業者個人の遺伝素因や食習慣、生活習慣などの非労働要因が加わって発症する、多要因性の慢性疾患が増加してきた。これを作業関連疾患とよんでいる。
[重田定義]
ある種の職業病は、すでに紀元前4世紀ごろより知られており、ヒポクラテスHippocratesは鉛中毒に関して、アリストテレスAristotelēsは一酸化炭素中毒についてそれぞれ記述している。16世紀に入ると、ドイツの鉱山医師アグリコラG. Agricolaは、『デ・レ・メタリカ』De Re Metallicaのなかで鉱山労働者の珪肺(けいはい)について記載しているが、職業病の著書としてもっとも有名なのは、ラマッツィーニB. Ramazzini(1633―1714)の『労働者の病気』Morbis Artificum Diatribaである。本書には53にも上る当時の職業病について、その原因、治療法、予防法などが詳しく記載されている。18世紀なかばに始まった産業革命は、またたくまに全ヨーロッパに広まり、生産を著しく上昇させたが、その裏では劣悪な労働環境や労働条件の下で、労働者の疾病が多発し、1802年になると、イギリスで最初の労働衛生に関する法規が制定された。
20世紀に入ると、第一次世界大戦を機として化学工業、重工業が発達し、そのために粉塵(ふんじん)その他の有害化学物質、高温環境や重量物取扱いなどによる職業病が増加し、社会的にも関心が高まり、各国では予防のための法規の制定や職業病の研究機関の設立が進められた。第二次世界大戦以降には、技術革新と工業化の急速な進展、とくに石油化学工業の勃興(ぼっこう)や量産方式の普及などを背景として新しい職業病がおこり、国際的な規模での問題解決の道が探られている。
明治以前の日本では珪肺や鉛中毒について知られている程度であったが、明治以降の近代産業の発達は労働者に多くの悲惨な犠牲を強いることとなった。とくに重要なのは工場労働者の肺結核の蔓延(まんえん)であり、石原修(おさむ)は1913年(大正2)この問題を『衛生学上ヨリ見タル女工之現況』で指摘している。一方、黄リンマッチ工業による顎骨壊疽(がくこつえそ)や、昭和初期に急速に発達した人絹(じんけん)(人工絹糸、レーヨン)・スフ(ステープルファイバー)工業でみられた二硫化炭素中毒などの特殊な職業病も増加した。こうした事情を背景に、1921年になると私立の倉敷労働科学研究所が設立され、初めて本格的に職業病の調査と研究が進められるようになった。しかしながら、その後、日中戦争から第二次世界大戦へと戦争が拡大したことによって、職業病など労働者の保健に関する問題はまったく影を潜めてしまった。労働者の保健等の問題が新たに注目されるようになったのは、第二次世界大戦後である。1947年(昭和22)に労働省(現厚生労働省)が設置され、「労働基準法」と「労働者災害補償保険法」が公布、施行されてから、ようやくにして職業病に対する社会的認識が深まってきた。
[重田定義]
職業病をおこすおもな原因には次の三つがあげられる。
(1)作業強度、作業密度、作業姿勢、作業速度、作業時間など、作業量が大きすぎるか、作業条件が適当でないためにおこる場合
(2)温度、湿度、気流、光線、騒音、気圧、振動など物理的作業環境条件が異常なためにおこる場合
(3)ガスや粉塵および各種有害化学物質などの有害物の取扱いや病原体感染によっておこる場合
[重田定義]
産業の発達、生産技術の変革により職業病の発生形態も変わるが、職業病を予防するには、以下の対策を総合的に推進しなければならない。
(1)作業環境管理 適当な換気、採光、照明、温熱条件が得られるよう、また騒音、振動、有害輻射(ふくしゃ)線、電離放射線などの有害物理条件の影響を防ぐための設備の改善、作業方法の変更。有害物質の発散するおそれのあるところでは、生産工程や作業方法の変更、原材料の代替使用、発散の抑制、設備の密閉または隔離、局所排気装置の設置。また、環境中の有害物の濃度を測定して、健康に障害を及ぼす濃度か否かを監視するなど。
(2)作業方法管理 作業の肉体的・精神的負担をできるだけ軽減するよう人間工学的配慮の下に、作業の機械化、装置のレイアウトや作業工程の変更、機械、作業台、椅子(いす)の改善など。
(3)勤務制管理 作業環境や作業強度に応じた作業時間、休憩時間の設定、残業の制限・廃止、交替勤務の合理化など。
(4)適正配置 労働者の身体能力、知識、技術、性格などを考慮して、適性のある職場へ配置する。とくに女子、年少者、高年者、身体障害者、虚弱者などに対する配慮など。
(5)安全衛生教育 雇い入れ時、作業内容の変更時には、有害業務に従事する労働者に対してかならず行う。
(6)健康診断と事後措置 法規によって定められたもののほか、医師が必要と認めた健康診断を実施し、その結果に基づいて保健指導、職場配置や勤務時間の変更を指示する。
(7)労働衛生保護具 有害環境から労働者を守るために、保護具を必要とする作業場ではかならず着用させる。
[重田定義]
「労働基準法」は、労働時間、休日など勤労条件の最低基準を定めたものである。「労働安全衛生法」は、職場における労働者の安全と健康を確保するとともに、快適な作業環境の形成を促進する目的で制定され、安全衛生管理に対する事業主の責任を明確にし、また事業場の安全衛生管理の組織と活動の基準を定めている。「じん肺法」は、粉塵作業に従事する労働者の塵肺に関する健康診断とその結果に基づく事後措置、とくに重症者の配置転換、療養、補償などを規定している。「作業環境測定法」は、「労働安全衛生法」第65条の規定(作業環境の測定)を受けて、適正な作業環境確保のために、作業環境測定士、作業環境測定機関の制度を設け、一定の有害作業場における環境測定は有資格者に行わせるべきことなどを定めている。
[重田定義]
『財団法人厚生統計協会編・刊『国民衛生の動向』各年版』
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