田中新田(読み)たなかしんでん

日本歴史地名大系 「田中新田」の解説

田中新田
たなかしんでん

[現在地名]富士市田中新田・三新田さんしんでん

大野おおの新田の東、南は駿河湾に面する。当村は東・西二つに分れており、その間にひのき新田を挟む。砂丘上を東海道が通り、道沿いに人家があった。武蔵国成子なるこ宿(現東京都新宿区)の住人で御納戸役を勤めた田中権左衛門が、延宝六年(一六七八)に当地に帰農して新田開発をし、その姓を村名にしたという(浮島開拓史)。元禄郷帳に田中新田とみえ高一六三石余。


田中新田
たなかしんでん

[現在地名]堺市日置荘田中ひきしようたなか

原寺はらでら村の南西方に位置する。河内国丹南郡に属する。もと原寺村の荒芝地であったが順次開発されたものと思われる。元禄一三年(一七〇〇)検地帳に古検高が記載されているところから文禄期(一五九二―九六)にはすでに耕作されていたことになる。灌漑用水に恵まれない当村域はその後再び荒廃したようであるが、木綿菜種などの商品作物の需要増に伴い再開発され、元禄一三年の検地となったものと思われる。検地帳によると石高二二三石余。開発主であろう三郎右衛門が地主となっており、屋敷も当新田内にあり、統領屋敷とよばれていた。


田中新田
たなかしんでん

[現在地名]松戸市田中新田

河原塚かわらづか村の東の台地上にあり、享保年間(一七一六―三六)幕府代官小宮山杢之進の見立てによって開発された畑地新田。東は串崎くしざき新田。享保七年の牧絵図(松戸市史)によれば、開発前の当地は中野なかの牧の放馬囲の内であった。同一五年の新田成立時の検地帳(田中家文書)では反別四七町五反余、内訳は林畑三三町五反余・芝地一〇町八反・下々畑三町一反などで、名請人は忠七一人。忠七は日暮ひぐらし村飯沼八蔵の分家とも伝え、かねさく村の開発請負人の一人。屋敷は四筆・一反六畝余で、実際に入村したのは四戸と推定される。ほかに見捨地として稲荷社地・廟所・斃馬捨場があった。なお「八柱誌」には「行徳の人田中三左衛門なる者の所有なりし為、称して田中山という。


田中新田
たなかしんでん

[現在地名]三郷市田中新田・前間ぜんま早稲田わせだ

小谷堀こやぼり村・前間村の東に位置し、東は江戸川を隔てて下総国葛飾郡三輪野山みわのやま(現千葉県流山市)など。田園簿・元禄郷帳に記載がなく、天保郷帳に村名がみえ高七石余。「風土記稿」によれば、もとは江戸川河川敷の萱野で、足立郡千住せんじゆ宿橋戸はしど(現東京都足立区)の田中新蔵・作左衛門・新兵衛らが一族の者と図って開発し、その姓をとって村名としたという。寛延三年(一七五〇)流作場検地を受け、安永七年(一七七八)三輪野江みわのえ(現吉川町)の左膳に譲り渡され、三輪野江・丹後たんご・小谷堀・後谷うしろや・前間の五ヵ村の者が耕作したという。


田中新田
たなかしんでん

[現在地名]妙高村田中村新田たなかむらしんでん

花房はなぶさ村から北東へ向かう道が当村を経て、西田屋にしたや新田へ続く。東はおか新田、北西の山裾に福田ふくだ新田がある。正保国絵図に村名があり、高二九石余。天和三年郷帳では高四四石二斗余、うち野高五升二合、ほかに円光えんこう寺が記される。旧高旧領取調帳では田中村新田とあり、高五二石余。


田中新田
たなかしんでん

[現在地名]弥彦村田中新田

西にし川左岸の微高地にあり、西は矢作やはぎ村、東は浜首はまくび(現吉田村)。延宝四年(一六七六)矢作村の斎藤五郎助によって開発され、矢作新田とも五郎助ごろすけ新田ともよばれたという。また年代は不明だが、矢作村のうち千石新田を斎藤小右衛門が開墾、初め小右衛門新田と称し、貞享二年(一六八五)矢作村から分村したともいわれる(皇国地誌)


田中新田
たなかしんでん

[現在地名]加茂市田中新田

信濃川左岸の自然堤防上に開けた村で、東および南は鵜森うのもり村、西は新飯田にいだ(現白根市)と接する。元禄一二年(一六九九)の鵜森組新村付帳(渡辺巌氏蔵)によれば、寛永一四年(一六三七)鵜森村を親村として開発立村。正保国絵図に二七石余とあり、寛文七年(一六六七)と推定される御領内見分之書付(貴船家文書)によれば物成高五一石五斗余、家数一四・人数九八。


田中新田
たなかしんでん

[現在地名]頸城村田中新田

中城なかじよう新田の北にある。正保元年(一六四四)に開発のなったおおぶけ新田のうち。正保国絵図に田中村とあり、高七三石余。天和三年郷帳によれば高七四石七斗余であった。同郷帳の蓮浄寺本には、うち高四〇石四斗二升六合が無役高とある。


田中新田
たなかしんでん

[現在地名]港区田中一―三丁目・石田いしだ三丁目・夕凪ゆうなぎ一―二丁目

石田新田の南西に位置する。もとは石田新田に連なる寄洲であったが、安永五年(一七七六)大坂の田中又兵衛が開発、同七年に完成。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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