田中智学(読み)たなかちがく

日本大百科全書(ニッポニカ) 「田中智学」の意味・わかりやすい解説

田中智学
たなかちがく
(1861―1939)

明治~昭和期の宗教家。国柱会(こくちゅうかい)の創始者。江戸日本橋の生まれ。本名巴之助(ともえのすけ)。鐘宇(しょうう)、巴雷(はらい)と号した。父の医師多田玄竜(ただげんりゅう)は、法華(ほっけ)信者。幼にして父母を失い、東京・江戸川一之江の日蓮宗妙覚寺で得度二本榎(えのき)大教院などに学んだが、やがてその教学を疑い、還俗(げんぞく)して1880年(明治13)に横浜に蓮華(れんげ)会をおこして祖道復古、宗門改革を目ざした。1884年には東京に進出して在家仏教の立場から立正安国会を創立、1887年には日本最初の仏教結婚式を制定、また教学の府として鎌倉に師子王(ししおう)文庫を設立する。さらに1914年(大正3)には、有縁(うえん)の諸団体を統合して教行を統一して、檀家(だんか)制度によらない信仰者の組織である国柱会を創始した。この間、日蓮主義組織教学を大成、また日本国体学を創建した。編著は『日蓮主義教学大観』『本化聖典大辞林』など200種に及ぶが、なかでも『宗門之維新』に啓発された高山樗牛(たかやまちょぎゅう)をはじめ、姉崎正治(あねさきまさはる)(嘲風(ちょうふう))、石原莞爾(いしわらかんじ)、宮沢賢治中里介山(なかざとかいざん)、田中光顕(たなかみつあき)ら多くの人々を感化した。

[中平千三郎 2018年6月19日]

『田中智学著『師子王全集』全36巻(1931~1940・同書刊行会、真世界社)』『田中香浦著『田中智学』(1977・真世界社)』『田中芳谷著『田中智学先生略伝』(真世界社・師子王文庫)』『田中芳谷監修『田中智学先生影譜』(真世界社・師子王文庫)』

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20世紀日本人名事典 「田中智学」の解説

田中 智学
タナカ チガク

明治〜昭和期の仏教運動家,仏教学者



生年
文久1年11月13日(1861年)

没年
昭和14(1939)年11月17日

出生地
江戸・日本橋(東京都中央区)

別名
号=巴雷,師子王道人

経歴
明治3年日蓮宗門に得度するが、12年脱宗帰俗して在家仏教運動をはじめ、13年横浜で蓮華会結成、17年には東京で立正安国会をおこす。23年「龍口法難論」を述作し、34年「宗門之維新」を刊行。44年日本国体学を提唱して日本国の法華経的解釈を試み、台頭しつつあった国家主義と呼応してその運動を進めた。大正3年立正安国会等を合同して新たに国柱会をおこし、独自の日蓮主義運動を展開した。国体学の提唱者であると同時に仏教革新運動者でもあり、近代日蓮信仰の開拓者でもあった点が、高山樗牛らの文学者に影響を与えることになった。著書に「宗門之維新」「日蓮上人之教義」「大国聖日蓮上人」など。

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改訂新版 世界大百科事典 「田中智学」の意味・わかりやすい解説

田中智学 (たなかちがく)
生没年:1861-1939(文久1-昭和14)

近代の日蓮系在家仏教運動者。東京日本橋に生まれた。幼名巴之助。10歳のとき日蓮宗の僧について得度したが,当時の日蓮宗檀林の天台教学中心の学風と教団の摂受(しようじゆ)的傾向にあきたらず,1879年脱宗還俗した。翌80年横浜に蓮華会をおこして在家仏教運動を開始,85年には東京に移り立正安国会を,さらに1914年には国柱会を創立した。主として講演と著述による折伏(しやくぶく)中心の活動を展開,その著《宗門之維新》《本化摂折論》は当時の日蓮系の僧俗に影響を与えた。また《日蓮主義教学大観》は智学の教学の集大成であり,日蓮遺文辞典として《本化聖典大辞林》を編集刊行した。1911年におこった大逆事件を機に,〈日本国体学〉を提唱,国体の開顕に努めた。
執筆者:

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「田中智学」の意味・わかりやすい解説

田中智学
たなかちがく

[生]文久1(1861).11.13. 江戸
[没]1939.11.17. 東京
宗教家。町医者多田玄龍の3男。本名は巴之助。幼少にして日蓮宗に入ったが,宗門にあきたらず 1879年脱宗。翌年法華信仰の在家信者団体,蓮華会をつくった。 91年東京で立正安国会 (のちの国柱会 ) を創立し宗教の革新を唱道した。日清戦争の際は大阪天保山に大国祷壇を設けて戦勝を祈願,97年鎌倉に師子王文庫を設立した。 1902年独自の日蓮宗学体系『本化妙宗式目』を完成。機関紙『天業民報』によって「純正日蓮主義」を広める一方,21年国柱会総裁を退き,日本国体学の体系化を進めた。

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百科事典マイペディア 「田中智学」の意味・わかりやすい解説

田中智学【たなかちがく】

日蓮宗系の在家仏教運動者。東京生れ。幼名巴之助。10歳で得度したが,1879年に還俗,1880年横浜で蓮華会を結成して在家仏教運動を開始。1885年には東京に移って立正安国会を創立,1914年には国柱会を設立した。おもに講演と著述による伝道を展開,おもな著書は《宗門之維新》《本化摂折論》《日蓮主義教学大観》など。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「田中智学」の解説

田中智学 たなか-ちがく

1861-1939 明治-昭和時代前期の仏教運動家。
文久元年11月13日生まれ。明治12年日蓮宗門から還俗(げんぞく)。17年東京で立正安国会を結成,大正3年国柱会を創設。法華経と国体との一体化を説いた。その独自の日蓮主義は高山樗牛(ちょぎゅう)らに影響をあたえた。昭和14年11月17日死去。79歳。江戸出身。旧姓は多田。名は巴之助。著作に「宗門之維新」「日蓮主義教学大観」など。
【格言など】仏法は仏法でござる。権威よりも道理じゃ

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367日誕生日大事典 「田中智学」の解説

田中 智学 (たなか ちがく)

生年月日:1861年11月13日
明治時代-昭和時代の仏教者
1939年没

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世界大百科事典(旧版)内の田中智学の言及

【国柱会】より

…東京都江戸川区に事務所を置く仏教日蓮系の宗教団体。創設者田中智学(1861‐1939)は,江戸日本橋の医者の子として生まれたが,10歳の年に父を失い日蓮宗の寺で出家得度した。日蓮の思想に学ぶうちに,個人の心の救済よりも社会環境の浄化を重視するようになり,宗門のあり方に疑問を感じて,19歳で還俗し,1880年在家仏教の運動のために蓮華会を創立,85年蓮華会は立正安国会に発展した。…

※「田中智学」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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