出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
出典 株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
明治~昭和期の宗教家。国柱会(こくちゅうかい)の創始者。江戸・日本橋の生まれ。本名巴之助(ともえのすけ)。鐘宇(しょうう)、巴雷(はらい)と号した。父の医師多田玄竜(ただげんりゅう)は、法華(ほっけ)信者。幼にして父母を失い、東京・江戸川一之江の日蓮宗妙覚寺で得度、二本榎(えのき)大教院などに学んだが、やがてその教学を疑い、還俗(げんぞく)して1880年(明治13)に横浜に蓮華(れんげ)会をおこして祖道復古、宗門改革を目ざした。1884年には東京に進出して在家仏教の立場から立正安国会を創立、1887年には日本最初の仏教結婚式を制定、また教学の府として鎌倉に師子王(ししおう)文庫を設立する。さらに1914年(大正3)には、有縁(うえん)の諸団体を統合して教行を統一して、檀家(だんか)制度によらない信仰者の組織である国柱会を創始した。この間、日蓮主義組織教学を大成、また日本国体学を創建した。編著は『日蓮主義教学大観』『本化聖典大辞林』など200種に及ぶが、なかでも『宗門之維新』に啓発された高山樗牛(たかやまちょぎゅう)をはじめ、姉崎正治(あねさきまさはる)(嘲風(ちょうふう))、石原莞爾(いしわらかんじ)、宮沢賢治、中里介山(なかざとかいざん)、田中光顕(たなかみつあき)ら多くの人々を感化した。
[中平千三郎 2018年6月19日]
『田中智学著『師子王全集』全36巻(1931~1940・同書刊行会、真世界社)』▽『田中香浦著『田中智学』(1977・真世界社)』▽『田中芳谷著『田中智学先生略伝』(真世界社・師子王文庫)』▽『田中芳谷監修『田中智学先生影譜』(真世界社・師子王文庫)』
…東京都江戸川区に事務所を置く仏教日蓮系の宗教団体。創設者田中智学(1861‐1939)は,江戸日本橋の医者の子として生まれたが,10歳の年に父を失い日蓮宗の寺で出家得度した。日蓮の思想に学ぶうちに,個人の心の救済よりも社会環境の浄化を重視するようになり,宗門のあり方に疑問を感じて,19歳で還俗し,1880年在家仏教の運動のために蓮華会を創立,85年蓮華会は立正安国会に発展した。…
※「田中智学」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について | 情報
《「ノブレスオブリージュ」とも》身分の高い者はそれに応じて果たさねばならぬ社会的責任と義務があるという、欧米社会における基本的な道徳観。もとはフランスのことわざで「貴族たるもの、身分にふさわしい振る舞...
12/21 デジタル大辞泉を更新
12/21 デジタル大辞泉プラスを更新
12/10 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
10/28 デジタル大辞泉を更新
10/28 デジタル大辞泉プラスを更新
10/27 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新