甲府城(読み)コウフジョウ

デジタル大辞泉 「甲府城」の意味・読み・例文・類語

こうふ‐じょう〔カフフジヤウ〕【甲府城】

甲府市にあった城。天正11年(1583)、徳川家康が築城を開始。途中浅野長政らが引き継ぎ、慶長5年(1600)完成舞鶴城

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精選版 日本国語大辞典 「甲府城」の意味・読み・例文・類語

こうふ‐じょうカフフジャウ【甲府城】

  1. 山梨県甲府市にあった平山城。天正年間(一五七三‐九二)徳川家康が起工し、江戸初期に完成。以後徳川義直・忠長・綱重・綱豊、柳沢吉保・吉里の入城を経て幕府の直轄になり、甲府勤番が置かれ、明治維新に至る。堀と石垣の一部が残存舞鶴(ぶかく)城。府中城

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日本の城がわかる事典 「甲府城」の解説

こうふじょう【甲府城】

山梨県甲府市のJR甲府駅周辺にあった平山城(ひらやまじろ)。江戸時代前期に甲府藩の藩庁が置かれていた城。その後も幕府直轄の城として明治維新まで存続した。同県指定史跡。日本城郭協会選定による「日本100名城」の一つ。戦国時代、武田氏は信虎、晴信(武田信玄)の時代には躑躅(つつじ)ヶ崎館(同市古府中町)を居城としていたが、甲府城は武田氏滅亡後の1583年(天正11)に、徳川家康が躑躅ヶ崎館を中心とした旧城下町の南端に新たな甲斐の主城として築いたもので、家康の家臣や豊臣秀吉麾下の武将が在城した。甲府城の城下に、今日の甲府市の街並みがつくられたのである。城が築かれた場所には、もともと甲斐武田氏一族の一条忠頼の居館があり、その居館跡に一蓮寺が建立された。1582年(天正10)に武田氏が滅亡し、さらに本能寺の変で織田信長が死去すると、甲斐で一揆が起こり織田方の河尻秀隆は討ち死にし、徳川家康と北条氏直の間に武田氏旧領の甲斐・信濃をめぐる収奪戦(天正壬午の乱)が起こった。この争乱の後、甲斐は徳川家康の所領となった。家康は1583年(天正11)に家臣の平岩親吉に命じて新城の縄張りを行い、一蓮寺を移転させて築城を開始した。しかし、同城完成前に家康は秀吉から国替えを命じられ、旧北条領を引き継いで江戸城に入った。その際、甲斐は豊臣秀勝(秀吉の甥)の所領となり、家康を牽制する意味から加藤光泰、浅野長政・幸長父子ら豊臣系の大名が入部した。この間、建設が中断していた甲府城は加藤光泰により再開され、浅野父子が1593年(文禄2)に完成させたといわれる。1600年(慶長5)の関ヶ原の戦いの後、甲斐は再び家康の所領となり、甲府城には平岩親吉が再入城した。その後1603年(慶長8)に家康九男の徳川義直が入城して以来、江戸に近い重要な城として、親藩の甲府藩の政庁が置かれた。1704年(宝永1)には、城主の徳川綱豊が将軍世嗣として江戸城に入り、徳川家宣と改名して将軍の座についた。翌年、家宣の将軍就任に伴い、柳沢吉保が城主となり、初めて親藩から外れた。1724年(享保9)、吉保嫡男の柳沢吉里が大和郡山へ転封になったことに伴い、甲府藩が廃止されて幕府直轄領となり、甲府城には甲府勤番と呼ばれる幕府の役人が輪番で在城した。その後、城は大火に遭い本丸御殿や銅門を焼失、また、城内の公金1400両が盗賊に奪われる甲府城御金蔵事件が起こっている。幕末の1866年(慶応2)に甲府勤番制は廃止され、城代が置かれたが、1868年(明治1)に板垣退助らが無血入城し、新政府軍が占領した。その後、1873年(明治6)に廃城となり、城内の建物は破却され、内堀も埋め立てられ、1877年(明治10)ごろには城内の主要な建物はほとんど撤去されたという。城内には勧業試験場や山梨県庁が設置され、また、中央線(現在のJR中央本線)が開通して城跡に甲府駅がつくられ、かつての城域は分断された。現在、城跡の一部は、中央本線の線路をはさんで舞鶴城公園、甲府市歴史公園として整備され、一般に開放されている。明治初期の廃城・解体後、長い間手つかずの状態に置かれたが、戦後、城址公園が建設されるに先立って、山梨県による大規模な発掘調査が行われ、曲輪(くるわ)や門、櫓(やぐら)の復元が行われた。また、舞鶴城公園には本丸・天守曲輪及び天守台・稲荷曲輪・鍛冶曲輪の石垣、堀の一部が残り、武田氏居館とともに甲府駅周辺の観光スポットとなっている。なお、同城には天守台跡が残っているが、甲府城に天守があったかどうかは長年、論争となってきた。地元では天守の復元を望む声も強く、松本城に匹敵する大規模な天守があったとする見方がある一方で、天守の存在に懐疑的な見方も根強く残っている。JR中央本線甲府駅から徒歩約5分。◇舞鶴城、一条小山城とも呼ばれる。

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事典・日本の観光資源 「甲府城」の解説

甲府城

(山梨県甲府市)
日本100名城」指定の観光名所。

出典 日外アソシエーツ「事典・日本の観光資源」事典・日本の観光資源について 情報

世界大百科事典(旧版)内の甲府城の言及

【甲斐国】より

…【磯貝 正義】
【近世】
 1582年武田氏が滅亡すると,甲斐は織田信長の臣河尻秀隆の支配をうけた。まもなく本能寺の変後起こった一揆により秀隆が誅滅されたあと,甲斐をねらう後北条氏との係争に勝利を得て入国した徳川家康は,平岩親吉を甲府城代に任命した。90年家康が関東に移されると羽柴秀勝が封ぜられ,翌年には加藤光泰にかわった。…

【甲府[市]】より

…信玄の隠し湯として知られる湯村温泉(純食塩泉,42~52℃),積翠寺(せきすいじ)温泉(酸性緑バン泉,15~18℃)のほか,市街地にも数ヵ所温泉がある。【横田 忠夫】
[甲府城下]
 甲斐国の城下町。甲府は甲斐府中の略称で,そのおこりは1519年武田信虎が石和(いさわ)から館を現在の甲府市の北辺にあたる躑躅ヶ崎に移したことにあり,以後信玄,勝頼まで3代の領国経営の本拠となった。…

※「甲府城」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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