デジタル大辞泉 「男色」の意味・読み・例文・類語
なん‐しょく【男色】
2 男色の対象となる男。
男性の同性愛。〈だんしょく〉とも読む。人間社会には太古から男色は存在したと考えられる。古代の神話や伝説の多くに,例えばギルガメシュとエンキドゥ(《ギルガメシュ叙事詩》),ホルスの腿間にペニスを挿入したセト(《ホルスとセトの争い》),イエスがだれよりも親密な交わりをもったヨハネ(《黄金伝説》)など,男色を疑わせる話がある。またR.バートンの《千夜一夜物語》英訳本の巻末論文には〈男色〉の一節があって,古今東西のおびただしい例を挙げている。その中で〈ローマやエジプトではイシスをまつる神殿は男色の中心であり,この宗教的行為はメソポタミアからメキシコ,ペルーにいたる偉大な神官階級によって行われていた〉と述べているように,男色は古代宗教と密接に結合していた。
バートンは北半球に〈淫猥地帯Sotadic Zone〉があると唱えた。この地帯は,西は南フランス,イベリア半島,イタリア,ギリシアなど地中海北岸(北緯43°まで)から南岸のモロッコ~エジプトまでのアフリカ海岸地方(北緯30°まで)の約800マイルの幅ではじまり,東進してやや細まりながらも,小アジア,メソポタミア,カルデア,アフガニスタン,パキスタン,パンジャーブ,カシミールを包み,インドシナに入ると広がって中国,日本,トルキスタンを含んでさらに南洋諸島から新大陸に及ぶとする。そして〈淫猥地帯〉の中では男色はありふれた行為で風土的なものにすぎず,民族性を問わないが,この地帯を外れると男色はまれとなり,嫌悪の目で見られていると述べた。
古代ギリシアの男色の起源は定かでない。エウリピデスは,オイディプスの父ライオスがペロプスの息子クリュシッポスに恋をして誘拐したことを嚆矢(こうし)とするが,ティマイオスはクレタ島からギリシアに伝わった風習だといい,アリストテレスもクレタ王ミノスに帰している。オウィディウスはオルフェウスが少年を愛し人生の春と最初の花を摘むことをトラキア人に教えた,と歌った(《転身物語》)。けれどもヘロドトスは,オルフェウス教やディオニュソス(バッコス)信仰はエジプト起源だという(《歴史》巻二)。なお彼はペルシア人は少年と交わることをギリシア人から学んだというが(《同》巻一),プルタルコスはペルシア人がギリシアの海を見る以前から少年を去勢していたとして,ヘロドトスの誤りを指摘している(《エティカ》巻十一)。
ギリシアの神々や英雄たちは,ゼウスはガニュメデスを,アポロンはヒュアキントスを,ヘラクレスはヒュラスをというように,美少年をこよなく愛した。このような神話・伝説によりギリシア人は男色を神聖視したのである。スパルタのリュクルゴスもアテナイのソロンもそれぞれ国制を定める際に,誠実な少年愛paiderastiaを不誠実なものと区別し,奴隷との男色は禁じたが自由民どうしのそれは公認している。実際,ギリシアの少年愛には高貴な感情が一面にうかがえる。少年はこの世で最も清潔な美しい存在で,これを肉欲から離れて愛することは造物主への賛美につながると考えられた。自分の恋する青年を引きとって教育する際のきずなは兄弟間よりも堅かった。また,人間の原形は男・男,男・女,女・女で,ゼウスによって二分されて以来,いずれの半身も他の半身にあこがれて一体化しようとすると述べて,同性愛を異性愛と等置したプラトンの《饗宴(シュンポシオン)》の中で,ファイドロスは愛者とその愛する少年だけから成る軍隊は全世界を敵としても必ず勝つ,と説く。実際,スパルタやテーバイの軍隊はそのように編成され,エロスの神に犠牲を捧げてから戦地に赴いた。無敵を誇ったテーバイの〈神聖部隊〉がカイロネイアの戦闘(前338)で全滅したとき,対をなして横たわる300人の死体にフィリッポス2世をはじめ敵も感泣したという。
《饗宴》《ファイドロス》その他で美少年への恋を賛美したプラトンだけでなく,アイスキュロス,ソフォクレス,エウリピデスの三大悲劇詩人も,アルカイオス,アナクレオン,アガトン,ピンダロス,テオグニスなどの詩人たちも少年愛をたたえた。アリステイデスとテミストクレスの両政治家は少年ステシレオスの愛を争っている。弁論家デモステネスはクノシオンを愛し,クセノフォンはクリニアスとアウトリュコスを,ソクラテスはアルキビアデスを,アリストテレスはヘルメイアスとテオデクテスらを,エンペドクレスはパウサニアスを,エピクロスはピュトクレスを愛し,キプロスのゼノンらストア学派の哲学者たちももっぱら少年愛にふけった。そして時を経るにつれて精神的少年愛(プラトニック・ラブ)よりも肉欲的側面が追求されるようになり,少年の売淫は法的に禁止されるにいたるが,男色にまつわる語彙が100近くあることにも示されるように,少年愛はギリシアにおいて,少なくとも富裕な貴族層とその周辺ではかなり普遍的だったと考えてよさそうである。
ローマの少年愛にはギリシアのように高貴な精神的側面は見られない。すでに共和政時代から男色は蔓延していた。カエサルは〈ローマのすべての妻の夫であり,すべての夫の妻〉だった,とスエトニウスはいう。その養子の初代皇帝アウグストゥスも,巷間男色をうわさされている。次いで皇帝となったティベリウスも,続くカリグラも男色を楽しんだ。ネロは解放奴隷ドリュフォルスと女のように接しただけでなく,美青年スポルスを去勢して結婚し,皇后のように扱っている。ハドリアヌスはその寵児アンティノオスのために町を建て,神格化さえ行った。当時の乱れた性風俗を描くペトロニウスの《サテュリコン》には美少年との愛欲を争って楽しむ2人の男の話がある。ラテン語には男色にまつわる語彙が約90あって,マルティアリスらは男色行為をうたいあげている。また他の性風俗とともに,男色もローマの属州に伝播していった。北アフリカに男色はことのほか定着し,モロッコのムーア人は男色にふけったという。
純潔を説くキリスト教が男色を攻撃したのは,実はほかならぬイスラエルの民衆生活に男色が浸透していたからである。《創世記》にはソドムの町の人々がロトに男を出せと迫った話があり,《申命記》は男が女の装いをすることを禁じ,《イザヤ書》はソドムの司たちに主の言葉を訴え,《列王紀》は各地に神殿男娼がいたことを告げている。《ローマ人への手紙》でパウロが男どうしの情欲を乱行の一つとして非難するのは,男色がありふれた性行為だったからである。
イスラム圏も事情は変わらない。コーランは男色を禁止するが,《千夜一夜物語》には男色家サラディンの話もある。バートンはトルコ人を生まれついての男色者と呼び,ペルシアにも男娼窟がいたるところにあり,アフガニスタン人の隊商には女装した多数の若者が随行すると述べている。さらに,インドではバラモンと不可触民とのカーストをこえた男色があり,発見当時のアメリカ大陸には男色を確立した慣習としていない原住部族はわずかしかなかったという。北アメリカのズニ族では同性愛は制度として公認されているし(R.ベネディクト《文化のパターン》),モハブ・インディアンでは,若者が女性となる儀式を通過すれば,女装して男と結婚することができる(G.ドブルー《モハブ・インディアンの同性愛制度》)。またインディアンに限らず,ニューギニアなどの76の原始共同体のうち約3分の2の47で,同性愛が正常または容認しうるとされていた(C.S.フォード,F.A.ビーチ《性行動のパターン》)。
近世初期のヨーロッパには巨匠たちの同性愛が目だっている。レオナルド・ダ・ビンチは若いころにも同性愛のかどで告訴されたことがあったが,名を成して後も弟子の美少年たちとつき合い,そのうちの一人フランチェスコ・メルツィを相続人にしている。ミケランジェロは男色者としての好みを作品の中に色濃く投影した。イギリスの劇作家C.マーローは居酒屋で男色行為にふけろうとしたときに喧嘩で殺された。シェークスピアは自分の愛する若者と〈黒婦人〉と呼ぶ女性の愛を競い合う妖しい三角関係を描いたソネットを残している。王侯貴族も男色に魅せられていた。イギリスのウィリアム2世(赭顔王),エドワード2世,ジェームズ1世,ウィリアム3世などはみな男色者で,アンリ3世はフランス王になってから男色におぼれた。ルイ14世がいくら弾圧しても貴族の間につくられた男色者の会は生き延びていた。また,十字軍時代の同性愛には英雄をたたえるロマンティシズムがあったが,下ってナポレオンのエジプト遠征のときには,編入されたアラブ軍団やエジプト騎兵らが捕虜と男色行為に明け暮れ,軍律によっても抑止できなかったという。
近代ヨーロッパには男色が広くゆき渡っており,有名人も例外ではないのだが,それにしても多くの者が男色の世界に身を投じている。上記のほかに,ルイ14世に仕えた作曲家J.B.リュリ,美術史家J.J.ウィンケルマン,歴史家J.vonミュラー,俳優にしてベルリン国立劇場総支配人A.W.イフラント,詩人A.G.vonプラーテン,自然地理学者A.vonフンボルト,童話で名高いH.C.アンデルセン,帝国主義政治家C.J.ローズ,ドイツ皇帝ウィルヘルム2世とその取巻きたち,第1次大戦下にイギリスの対アラブ工作員として活躍したT.E.ロレンス(通称〈アラビアのロレンス〉),神智学協会の指導者C.W.リードビーターなど,多士済々である。
また近代文学の大家たちの男色傾倒は壮観というほかない。プラトンを教皇としソクラテスを使節とする善なる教会の従僕であることを誇ったP.ベルレーヌとその相手のJ.N.A.ランボー,民衆詩人W.ホイットマン,社会主義運動にひかれた詩人E.カーペンター,男色罪で2年間投獄されたO.ワイルド,S.ゲオルゲなどがとくに知られているが,彼らばかりではない。ゲーテは《ベネチア格言詩》補遺で少年愛傾向を告白し,A.ジッドは《コリドン》で同性愛を弁護したばかりか,別の機会にみずからの男色行為も述べ,《失われた時を求めて》のM.プルーストは男娼窟を経営するA.キュジアと関係していた。J.コクトーと俳優J.マレーとの関係も有名である。S.モーム,J.ジュネ,M.ジュアンドーらも男色を追求している。
だが性革命が進行しつつある現代では,男色はいっそう広く深く民衆の性風俗の中に根を張っている。例えばアメリカには《ブルーボーイ》その他の男色ポルノ雑誌があり,専用のバーや浴場に人々が群がっている。男色者は人口の約1割で,そのうち男色専門は2~3%,両性愛者は7~8%といわれる。中でもサンフランシスコはホモセクシュアル人口が最も多く,人口68万人中,同性愛者は12万人,有権者の28%を占めるという。したがって,同市の選挙においては市長でも国会議員でも彼らを敵にまわすことができないといわれるのも当然のこととうなずけよう(立花隆《アメリカ性革命報告》)。
執筆者:池澤 康郎
日本でも古く《万葉集》の中に男色を思わせる歌を見いだす。しかし,室町時代までは文献例が少なく,わずかに女犯を禁じられた僧の男色が知られているにすぎない。室町時代以後には僧院における稚児(ちご),喝食(かつしき)などが武士の間にも愛され,後には少年武士が男色の相手に選ばれた。とくに戦国時代には,尚武の気風からことさらに女性をさげすみ,男色を賛美する傾向が強まった。その中から,男色における兄分(念者(ねんじや),念人(ねんにん))と弟分(少人(しようじん),若衆)との間の倫理的契約(義理,意気)を重んじた衆道(しゆどう),若道(にやくどう)の成立をみるにいたった。こうした男色流行は江戸時代の前期に受けつがれ,士,僧のほか一般庶民の間にもその風がひろまり,若衆歌舞伎の発展はこれを助長するとともに,男色を売る男娼--陰間(かげま)が出現するに及んだ。この男色志向を反映して,独特の衆道文学とも呼ぶべき男色物の仮名草子や浮世草子が多数つくられている。一方,男色関係にからむ殉死(心中),刃傷(にんじよう)事件などが頻発したため,幕府は衆道,若衆風俗を禁止して抑制をはかったが効果は十分でなかった。江戸時代末には前期ほどの流行はみられなかったが,明治以後も学生,軍隊などを中心に男色者があった。第2次大戦後は復員兵,あるいは占領軍の兵士によって男色趣味がもたらされた。ことに,1960年代以後ホモセクシュアルとして欧米の影響を受け入れる形で,広く市民権を得ようとする動きがでている。
男色は女性の代償として行われ,それが習慣的性癖となった場合がある。男色が僧院,戦場,刑務所など男性のみの集団生活と関係の深いことはこれを立証する。また同じ男性どうしではあっても,その関係は対等でなく,僧,俳優における師弟,武士における主従のように,階級的特権によって稚児,若衆を承服させていることも注意すべきである。また日本では,明治維新直後の改定律例に鶏姦(けいかん)罪の規定があった以外には,男色そのものを処罰する規定はなかった。江戸幕府の禁令も,また,その後の刑法も,兄分の暴行をいましめるだけであり,男娼の場合に風俗犯罪で律せられるにすぎない。これは若衆の年齢が,男娼の場合を別として,おもに10歳代に限られていることにも関係があろう。なお若衆は,兄分が男性的なのに反し,きわめて女性的傾向が濃い。とくに服装,言語,動作までまったく女性同様になることは,男娼において著しい。しかし一方では,足利義満と世阿弥との関係や,歌舞伎の女形のように,演劇界の発展につながるなど芸術上に及ぼした影響は少なくなかった。
→同性愛
執筆者:原島 陽一
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
男性の同性愛のこと。「だんしょく」とも呼び習わす。現代で用いられる俗称の「ホモ」はホモセクシュアルhomosexualの略称で、元来は「同性愛」のことだから、男性、女性それぞれの同性愛の総称のはずだが、日本ではとくに男色の意味だけに使っている。
男色には、独自のコンプレックスがあったり、女性への激しい恐怖や嫌悪感から同性にしか興味を示さない定着的なものなどさまざまな場合があるが、このほか、青少年期に多い過渡的両性傾向のうちの同性同士の交渉や、身近に女性がいないので行う男性同士の性交渉もある。しかしこれらを含め、広義で男色とよんでいる。男色には、男性を男性として愛する男色と、一方が女装したり女性っぽいそぶりをする男色との2種類がみられる。
歴史的にもっとも早く知られている男色は、古代エジプトの軍隊内におけるもので、これは、相互団結と秩序を乱す女性への排除思想からだとされている。日本の中世の僧侶(そうりょ)や武家社会(衆道(しゅどう)とよんだ)や、ヨーロッパのノルマン人の戦闘的集団にこうした男色傾向がみられた。しかしながら、同性愛の理想化、観念化は古代ギリシアでなされた。すなわち、年長者(エラスト)が少年(エロトメーヌ)を家に引き取って愛情を込めて教育し、少年は年長者と同一化することによって種々のことを学びとりつつ、自己形成することを理想とした。アリストファネスは、「心身とも男の愛に捧(ささ)げた若者だけが、のちに国を治める人物になる」といった。プラトンも天上的な愛は男の同性愛だという。肉欲を超えたプラトニック・ラブとは、もともとは男性同性愛の理想化したものをさすことばであったのである。
こうした古代ギリシアの思想は古代ローマにも受け継がれ、カエサル(シーザー)、ティベリウス、ネロらの同性愛的傾向は有名である。しかし、このような歴史をもつヨーロッパでも、民族増強あるいは人口的見地から、中世以後は男色は弾圧、禁止された。ルネサンス期のミケランジェロ、イギリス王のエドワード2世やシェークスピアにも男色傾向があったといわれるが、けっして正面きって男色の主張をしたわけではない。
その主張がなされたのは自由主義、個人主義の確立した19世紀のことで、ランボーとの激越な逸話をもつベルレーヌを経て、オスカー・ワイルドやアンドレ・ジッドによって堂々と自己告白がなされた。ベルリンの医師マグナス・ヒルシュフェルトは同性愛を第三の性として法の保護を要求したが、もちろん容認はされなかった。なぜなら、現在でもイギリスをはじめとして男性の同性愛を法律で禁止している国々があるし、その他の国でも未成年者との交渉は処罰しているほどだからである。しかし、とくに第二次世界大戦後は、アメリカをはじめとして同性愛の法的規制の排除を求める声が高まり、男性同士の結婚を認めるべきだとする主張も出ているし、職業的男色者も珍しくなくなった。なお、男色が古来文学や芸術に間接的に大きな影響を与えてきたことは、注目しておくべき事実である。
[深作光貞]
字通「男」の項目を見る。
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…〈だんしょく〉とも読む。人間社会には太古から男色は存在したと考えられる。古代の神話や伝説の多くに,例えばギルガメシュとエンキドゥ(《ギルガメシュ叙事詩》),ホルスの腿間にペニスを挿入したセト(《ホルスとセトの争い》),イエスがだれよりも親密な交わりをもったヨハネ(《黄金伝説》)など,男色を疑わせる話がある。…
…寛永年間(1624‐44)刊か。問答体の形式をとる男色女色の優劣論。書名の由来は,男色愛好者が〈華奢者(きやしやもの)〉(風流な伊達者)であるのに対し,女色支持者を〈田夫者〉(田舎者)と規定することによっており,当時の衆道の流行ぶり,それを風流とみる風潮もうかがえる。…
…このように,〈制度化された同性愛〉にも,北米インディアン社会のように一部の者が男から女(あるいは両性具有者)へ転換するために女性として行う異性愛行為の模倣と,ニューギニア社会のようにすべての男が特定の期間に少年から成人へ転換するために男性として行う,異性愛行為とは明確に対立する形態という,二つの型があり,多くの同性愛はその両者間の変異として位置づけられよう。性男色【小田 亮】。…
…改編改題本に《古今武士形気》がある。本書成立の背景には,かつては僧侶や一部の公家の間の習俗であったが,中世,わけて戦乱が日常化した戦国時代以来武家社会の生活にも瀰漫(びまん)した男色(男子間の同性愛,とくに年長者が年少者を愛する稚児愛,若衆愛をさす)の風潮,さらに江戸時代に入ると一般庶民の間にもその風は広まり続けた日本独自の男色史の経緯がある。風教上害ありとして,いわゆる〈若衆歌舞伎〉は禁止されたが,その後も少年俳優への同性による性愛沙汰はやまず,かさねて種々の業態による若衆の売色の盛行,さらには,それが金銭によらないしろうとの間に及んでいったことを考えあわせるべきだろう。…
…狭義には,江戸初期の仮名草子やそれを受けた浮世草子好色物(好色本)の一型を指す。広義には,時間と空間を問わず,また文学上のジャンルにとらわれず男色を扱った文学の総称である。もともと日本にはなく大陸からの渡来者,とりわけ仏教者の風俗が浸透したというのは俗説にすぎない。…
※「男色」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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