日本大百科全書(ニッポニカ) 「町人嚢」の意味・わかりやすい解説
町人嚢
ちょうにんぶくろ
江戸中期の長崎の町人で西洋学術の研究紹介者として活躍した西川如見(じょけん)の主著。5巻。なお補遺として『町人嚢底払(そこばらい)』2巻。ともに1719年(享保4)刊。同書は「人間は根本の所に尊卑あるべき理(ことわり)なし」という四民平等の自覚をもとに、多くの古典を引用しながら、町人は簡略、質素、倹約、謙などの諸徳を守り、「中道」を保ち「道理」を求めるための学問を学ぶことを強調する。さらに諸種の道に関する「秘密口伝」といった権威化や、鬼門、厄年(やくどし)、墓相(ぼそう)、卜占(ぼくせん)などの迷信や不合理な習俗を否定し、町人としての生き方を啓蒙(けいもう)する。同書は如見の『百姓嚢』とともに、近世庶民の代表的教訓書として大きな影響を与えた。
[今井 淳]
『中村幸彦編『日本思想大系 59 近世町人思想』(1975・岩波書店)』▽『飯島忠夫・西川忠幸校訂『町人嚢・百姓嚢・長崎夜話草』(岩波文庫)』