寛政(かんせい)の改革の際、老中松平定信(さだのぶ)により1792年(寛政4)に設けられた、常設の窮民救済、備荒貯蓄、兼金融機関。具体的には、囲籾(かこいもみ)、七分積金、米、銭の交付や土地家屋抵当の低利貸付などを行う事務所を町会所と称した。建物は、浅草向柳原(むこうやなぎわら)に設けた籾蔵(もみぐら)の構内につくられた。職員としては座人(ざにん)(地主5人)、座人手付(てつき)(家主6人、座人の下で働く)、用達(ようたし)(10人、勘定所用達商人、金銭の出納をする)、用達手代、肝煎(きもいり)名主(6人、積金の受理や町々への通達)で、勘定奉行所(ぶぎょうしょ)と町奉行所の両町会所掛が監督した。囲籾は始終新米と古米とを詰め替え、町方推定人口50万の30日分を目標に貯蔵したので、籾蔵を深川大橋向、神田筋違橋(すじかいばし)内、小菅(こすげ)村に増設した。窮民への米、銭の交付は、名主の承認を得て家主が申請して窮民に与えられた。大きな火災や水害などのおりは救小屋(すくいごや)を建てて罹災(りさい)者を収容した。同所は1872年(明治5)に廃止されたが、それまで積み立てられていた多額の資金は、養育院の設立をはじめとする社会救済事業や、道路橋梁(きょうりょう)の営繕事業などに幅広く活用された。
[南 和男]
寛政の改革によって江戸市中に設置された社倉とその運営機関。1792年(寛政4)向柳原馬場・的場跡地に設立。同時に市中地主層からの七分積金で購入した囲籾(かこいもみ)を貯蔵する籾蔵(もみぐら)も同所に建設された。籾蔵は後年,深川橋富町・神田筋違橋・霊岸島・小菅(こすげ)にも増設された。任命された勘定所御用達10人に積金や幕府からの差加金(さしくわえきん)が預けられ,囲籾購入・窮民救済・低利貸付などの運営が委託された。事務は御用達が選任した年番名主・座人が担当。幕府の勘定方,町方の与力・同心が町会所掛として派遣され,運営を監督した。1872年(明治5)東京府の営繕会議所の設立にともない廃止された。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
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…また各町留保の節減分を,一分積金として独自に運用する町もあった。
[江戸町会所の機能]
七分積金は毎年2万~2万5000両に及び,勘定奉行所や町奉行所の監督の下,江戸町人の代表によって運用された。このため神田向柳原(むこうやなぎわら)には12棟の囲籾蔵(かこいもみぐら)とともに江戸町会所が設置された。…
※「江戸町会所」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
各省の長である大臣,および内閣官房長官,特命大臣を助け,特定の政策や企画に参画し,政務を処理する国家公務員法上の特別職。政務官ともいう。2001年1月の中央省庁再編により政務次官が廃止されたのに伴い,...
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