町石道(読み)ちよういしみち

共同通信ニュース用語解説 「町石道」の解説

町石道

和歌山県紀の川流域の慈尊院(九度山町)から高野山に登る全長約24キロの参詣道。道しるべとして1町(約109メートル)おき木製の塔があったが、鎌倉時代以降は仏尊を示す梵字ぼんじや残りの町数を刻んだ180基の五輪塔のような石柱に変わった。

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日本歴史地名大系 「町石道」の解説

町石道
ちよういしみち

古く高野山の政所があった慈尊院から高野山上に至る代表的登山道。一町ごとに山上までの町数を記した卒塔婆状の石造道標があるところから町石ちよういし道という。高野山創建に際して設けられた政所と高野山を結ぶ道として、当初から公私ともに最も重要な道であった。壇上伽藍までの全長一八〇町。慈尊院の横から雨引あまびき山の中腹を通り、現かつらぎ町・九度山町界の尾根づたいに南に進み、かつらぎ町神田こうだ集落の東側を通って東に向きを変える。九度山町笠木集落の西で再び南行して高野町花坂の東、矢立に至り、国有林の中の険峻な道を登って山上のだい門に至る。国指定史跡。

通行の記録としては、寛治二年(一〇八八)の「白河上皇高野御幸記」が古く、参詣道の路頭に町数を記した卒塔婆札が立っていたことがわかる。また山上でも壇上伽藍から奥院までの三六町間に同様に三七本の卒塔婆が建てられていた。寛治三年成立の「弘法大師行状集記」にもみえるので、当時、町石の前身である木製の道標があったことは確かである。町卒塔婆の前身はおそらく碑伝ひでに類するものであったと考えられるが、これがいつ頃から始まったものかは明らかでない。山下一八〇町、山上三六町の制度はおそらく白河上皇登山前に作られたものであろう。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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