劇作家。明治35年2月16日福島県に生まれる。早稲田(わせだ)大学英文科在学中アイルランド文学に親しみ、『水泥棒』(1926)、『寒鴨(かんがも)』(1927)などの一幕物を書いて注目されたが、社会主義思想に目覚めて中退、一時農民運動に身を投じた。やがて劇作を再開し、1934年(昭和9)『劇文学』に発表した『鼬(いたち)』が久保田万太郎演出により上演されて一躍脚光を浴び、36年に『太陽の子』『裸の町』『見知らぬ人』(前二作は同年映画化もされた)、37年に『遁走譜(とんそうふ)』などを立て続けに発表して花形劇作家となった。この時期には放送劇の分野にも意欲を示し、『なだれ』(1935)、『激流』(1939)など、ラジオドラマ史上を飾る傑作を残している。第二次世界大戦後、中国大陸から引き揚げたのちはファルス(笑劇)への傾斜を深め、『中橋公館』(1946)、『黄色い部屋』(1948)、『赤いランプ』(1954)、『善光の一生』(1963)など、諦観(ていかん)を交えた人間風刺劇へ向かった。小説や評論もある。昭和52年8月3日没。
[大島 勉]
『『真船豊選集』全五巻(1948~50・小山書店)』▽『『真船豊ラジオ・ドラマ集』(1951・宝文館)』
劇作家,小説家。福島県生れ。早稲田大学英文科在学中に《寒鴨》《水泥棒》などで認められたが,社会問題に煩悶し,四国の農民運動に入る。1930年上京,翌年《島の嵐》が前進座により上演された。プロット戯曲研究会に参加,橋本敏彦,三好十郎らと十日会を結成して貧窮のうちに劇作に精進する。34年6月《劇文学》掲載の《鼬(いたち)》が創作座によって上演され絶賛を博した。翌年の《鼠落し》《鉈(なた)》以下,厳しい人間観察と力強い文体で人間内部の暗さの追求から〈人間風刺〉まで,《太陽の子》《裸の町》(以上1936)など世評高い力作が新劇,新派に上演されて人気作家となる。敗戦を北京で迎えた体験にもとづく《中橋公館》(1946)をはじめ,戦後は《黄色い部屋》(1948)以下〈ファルス〉を志向し,放送劇にも活躍した。長編小説《忍冬(すいかずら)》(1947)以下の小説も多い。晩年〈書斎劇場〉を主宰し,《豹変人物》(1968)に至る力作はあったが,上演されなかった。
執筆者:永平 和雄
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昭和期の劇作家,小説家
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