真船豊(読み)マフネユタカ

デジタル大辞泉 「真船豊」の意味・読み・例文・類語

まふね‐ゆたか【真船豊】

[1902~1977]劇作家福島の生まれ。戯曲いたち」で注目され、久保田万太郎師事。第二次大戦後は笑劇ファルス)やラジオドラマに力を注いだ。他に「裸の町」「中橋公館」など。

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精選版 日本国語大辞典 「真船豊」の意味・読み・例文・類語

まふね‐ゆたか【真船豊】

  1. 劇作家。福島県出身。農民運動に参加し、昭和九年(一九三四農村を扱った劇「鼬(いたち)」で注目され、「鉈」「狐舎」を発表、「裸の町」「中橋公館」で鋭い人間観察を示す。第二次世界大戦後は笑劇やラジオドラマに力を注いだ。明治三五~昭和五二年(一九〇二‐七七

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「真船豊」の意味・わかりやすい解説

真船豊
まふねゆたか
(1902―1977)

劇作家。明治35年2月16日福島県に生まれる。早稲田(わせだ)大学英文科在学中アイルランド文学に親しみ、『水泥棒』(1926)、『寒鴨(かんがも)』(1927)などの一幕物を書いて注目されたが、社会主義思想に目覚めて中退、一時農民運動に身を投じた。やがて劇作を再開し、1934年(昭和9)『劇文学』に発表した『鼬(いたち)』が久保田万太郎演出により上演されて一躍脚光を浴び、36年に『太陽の子』『裸の町』『見知らぬ人』(前二作は同年映画化もされた)、37年に『遁走譜(とんそうふ)』などを立て続けに発表して花形劇作家となった。この時期には放送劇の分野にも意欲を示し、『なだれ』(1935)、『激流』(1939)など、ラジオドラマ史上を飾る傑作を残している。第二次世界大戦後、中国大陸から引き揚げたのちはファルス(笑劇)への傾斜を深め、『中橋公館』(1946)、『黄色い部屋』(1948)、『赤いランプ』(1954)、『善光の一生』(1963)など、諦観(ていかん)を交えた人間風刺劇へ向かった。小説評論もある。昭和52年8月3日没。

[大島 勉]

『『真船豊選集』全五巻(1948~50・小山書店)』『『真船豊ラジオ・ドラマ集』(1951・宝文館)』

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改訂新版 世界大百科事典 「真船豊」の意味・わかりやすい解説

真船豊 (まふねゆたか)
生没年:1902-77(明治35-昭和52)

劇作家,小説家。福島県生れ。早稲田大学英文科在学中に《寒鴨》《水泥棒》などで認められたが,社会問題に煩悶し,四国の農民運動に入る。1930年上京,翌年《島の嵐》が前進座により上演された。プロット戯曲研究会に参加,橋本敏彦,三好十郎らと十日会を結成して貧窮のうちに劇作に精進する。34年6月《劇文学》掲載の《(いたち)》が創作座によって上演され絶賛を博した。翌年の《鼠落し》《鉈(なた)》以下,厳しい人間観察と力強い文体で人間内部の暗さの追求から〈人間風刺〉まで,《太陽の子》《裸の町》(以上1936)など世評高い力作新劇新派に上演されて人気作家となる。敗戦北京で迎えた体験にもとづく《中橋公館》(1946)をはじめ,戦後は《黄色い部屋》(1948)以下〈ファルス〉を志向し,放送劇にも活躍した。長編小説《忍冬(すいかずら)》(1947)以下の小説も多い。晩年〈書斎劇場〉を主宰し,《豹変人物》(1968)に至る力作はあったが,上演されなかった。
執筆者:

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20世紀日本人名事典 「真船豊」の解説

真船 豊
マフネ ユタカ

昭和期の劇作家,小説家



生年
明治35(1902)年2月16日

没年
昭和52(1977)年8月3日

出生地
福島県福良村

学歴〔年〕
早稲田大学英文科中退

経歴
在学中の大正14年に「早稲田文学」に掲載された「寒鴨」が秋田雨雀の激賞を受ける。大学を中退して四国で農民運動に加わるなど放浪の末、昭和9年「劇文学」に発表した「鼬」が久保田万太郎演出、創作座で上演されて絶讃を得、劇作家としての地位を確保した。また「裸の町」と「太陽」は映画化され、「なだれ」はラジオ、ドラマの古典的名作といわれるまでになる。そして終戦前後の中国での体験を基にした長編戯曲の「中橋公館」は21年に千田是也の演出で俳優座で上演され、その後、真船、千田コンビが俳優座の一つの柱となった。また26年に文学座で上演のファルス(笑劇)「稲妻」は田村秋子、杉村春子の共演で好評を博す。このほか「黄色い部屋」など数多くの戯曲を残したが庶民の生活を喜劇的にとらえる点が評価され、長編小説「忍冬」、自伝小説「孤独の徒歩」などもある。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「真船豊」の意味・わかりやすい解説

真船豊
まふねゆたか

[生]1902.2.16. 福島
[没]1977.8.3. 東京
劇作家。早稲田大学英文科中退。ストリンドベリの影響を受けて,1927年『早稲田文学』に『寒鴨』『村はづれ』を発表。放浪ののち 31年プロット戯曲研究会に参加,また三好十郎らと文芸研究の集りももった。 34年『劇文学』に『鼬 (いたち) 』を発表,築地座から分裂した創作座の旗揚げに初演され,好評を得た。 39年以後,数回中国に旅行。ほかに『裸の町』『遁走譜』『中橋公館』『黄色い部屋』,ラジオドラマ『激流』などがある。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「真船豊」の解説

真船豊 まふね-ゆたか

1902-1977 昭和時代の劇作家,小説家。
明治35年2月16日生まれ。昭和9年「劇文学」に発表した「鼬(いたち)」が創作座第1回公演で上演され注目される。戦後は喜劇からファルス(笑劇)へ傾斜し,「中橋公館」「猿蟹(さるかに)合戦」などを発表。ほかに放送劇「なだれ」,小説「忍冬(すいかずら)」など。昭和52年8月3日死去。75歳。福島県出身。早大中退。
【格言など】自由なんてものはお前,そもそも人から貰うものではないぞ(「見知らぬ人」)

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百科事典マイペディア 「真船豊」の意味・わかりやすい解説

真船豊【まふねゆたか】

劇作家。福島県生れ。早大英文科中退。戯曲《鼬(いたち)》が創作座で上演され注目を集めた。ほかに《遁走譜》《中橋公館》などがあり,《裸の町》《太陽の子》は映画化されて好評を得た。方言と物欲を主題にした作風から次第に風刺的笑劇へと変化している。ラジオドラマの作も多い。

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367日誕生日大事典 「真船豊」の解説

真船 豊 (まふね ゆたか)

生年月日:1902年2月16日
昭和時代の劇作家;小説家
1977年没

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世界大百科事典(旧版)内の真船豊の言及

【鼬】より

真船豊の戯曲。1934年(昭和9)6月《劇文学》創刊号に発表。…

※「真船豊」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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