矢代秋雄(読み)ヤシロ アキオ

20世紀日本人名事典 「矢代秋雄」の解説

矢代 秋雄
ヤシロ アキオ

昭和期の作曲東京芸術大学教授。



生年
昭和4(1929)年9月10日

没年
昭和51(1976)年4月9日

出生地
東京

学歴〔年〕
東京芸術大学作曲科卒,東京芸術大学音楽学部研究科〔昭和24年〕卒,パリ国立音楽学院高等和声学科〔昭和29年〕卒

主な受賞名〔年〕
毎日音楽賞弦楽四重奏曲」,尾高賞「チェロ協奏曲」「ピアノ協奏曲」,芸術祭奨励賞「ピアノ協奏曲」

経歴
少年時代から作曲を始め、芸大卒業後、昭和26〜30年フランスに留学。トニー・オーバン、オリビエ・メシアンに学び、首席で卒業。31年帰国後発表した「弦楽四重奏曲」で、毎日音楽賞受賞。作品に、「交響曲」(33年)、「チェロ協奏曲」「ピアノソナタ」(35年)、「ピアノ協奏曲」(42年)がある。49年東京芸術大学作曲科教授に就任したが、51年病気で急逝著書に「オルフェオの死」など。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「矢代秋雄」の意味・わかりやすい解説

矢代秋雄
やしろあきお
(1929―1976)

作曲家。東京生まれ。幼時より音楽に親しみ、諸井(もろい)三郎橋本国彦に手ほどきを受ける。のち東京音楽学校作曲科に入学池内友次郎(いけうちともじろう)のもとでフランスの和声学を学んだ。1951年(昭和26)同研究科修了と同時に渡仏、パリ国立音楽院でフランスの伝統的な音楽書法を身につけた。56年帰国、同年弦楽四重奏曲(1955)で毎日音楽賞を受賞し、その後も寡作ながらスケールの大きな構想と緻密(ちみつ)な書法による佳作を生んだが、46歳の若さで急逝。主要作品に交響曲(1958)、チェロ協奏曲(1960)、ピアノ協奏曲(1967)があり、『矢代秋雄全集』(1978・音楽之友社)に収められている。遺稿文集『オルフェオの死』(1977)がある。

船山 隆]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

ピティナ・ピアノ曲事典(作曲者) 「矢代秋雄」の解説

矢代 秋雄

東京生まれ。父が西洋美術史家という文化的環境のもと、10歳より諸井三郎に、14歳より橋本國彦に作曲に学ぶ。東京音楽学校(現東京芸大)では、同窓の黛敏郎と共に、池内友次郎、伊福部昭に師事。その後51年よ ...続き

出典 (社)全日本ピアノ指導者協会ピティナ・ピアノ曲事典(作曲者)について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「矢代秋雄」の解説

矢代秋雄 やしろ-あきお

1929-1976 昭和時代後期の作曲家。
昭和4年9月10日生まれ。矢代幸雄(ゆきお)の長男。池内友次郎(いけのうち-ともじろう)らに師事。パリ国立音楽院に留学し,帰国直後の昭和31年「弦楽四重奏曲」で毎日音楽賞。49年東京芸大教授。主要作品に「チェロ協奏曲」「ピアノ協奏曲」(ともに尾高賞受賞)。昭和51年4月9日死去。46歳。東京出身。東京芸大卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「矢代秋雄」の解説

矢代 秋雄 (やしろ あきお)

生年月日:1929年9月10日
昭和時代の作曲家。東京芸術大学教授
1976年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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