輪と輪が絡み合ったり,輪と他のものとが絡み合っている玩具で,その輪をうまく外して遊ぶ。これだけで1冊の本になるほど種類が多いが,歴史的にみて最も代表的な知恵の輪はチャイニーズ・リングである。これは細長い板に柄のついた輪が数個はめ込まれており,輪にさおが通っている。このさおを輪から外す遊びである(〈数学パズル〉の項の図36参照)。中国には輪が9個の九連環というチャイニーズ・リングがあった。劉向(りゆうきよう)(前77-前6)の著した《戦国策》の中に出てくる玉連環がこの九連環だといわれる。それが本当ならば2000年の歴史を有することになる。日本には17世紀後半には伝来している。江戸時代の数学者会田安明が9歳のときにこの原理を解明し,それに自信を得て数学者への道を歩んだというエピソードがある。西洋では16世紀のG.カルダーノが論じている。
執筆者:高木 茂男
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
いろいろの形の輪を抜いたり、また入れたりして遊ぶ玩具(がんぐ)。江戸時代、日本に漂着した中国人によって伝えられた九連環(きゅうれんかん)が始まりという。これは金属製の九つの輪を組み合わせたもので、これを組み立て、または抜き差しして遊んだ。最初は玉(ぎょく)でつくられたが、銅か鉄製となり、婦人、子供の玩具として一般化した。なお1820年(文政3)長崎の清(しん)国人により、この九連環を主題にした歌が流行し、「看々(かんかん)踊」として大坂で興行された。また明和(めいわ)年間(1764~72)には、江戸に参府したオランダ商館長が出した知恵の輪を、平賀源内が難なく解いて驚かしたエピソードもある。天保(てんぽう)(1830~44)のころには智恵(ちえ)の糸が流行した。横棒に二つの糸の輪をつくり、それぞれの輪についている人形を片方の糸に通わすものである。明治時代には、この原理を応用して、鉄棒体操している人形を鉄棒から抜き出す体操人形抜きなどが登場した。大正のころから「知恵の輪」の名で金属製のものが出回るようになった。現在も「頭の体操」的な玩具として人気がある。なかにはガラス製の破損しやすいものをたねに、大道で客をつる「ちえの輪屋」といういかさま商売もみかける。
[斎藤良輔]
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