石井ランシング協定(読み)イシイランシングキョウテイ

デジタル大辞泉 「石井ランシング協定」の意味・読み・例文・類語

いしいランシング‐きょうてい〔いしゐ‐ケフテイ〕【石井ランシング協定】

大正6年(1917)、日本の特派大使石井菊次郎と米国の国務長官ランシング(R.Lansing)との間で調印された協定。日本の中国における特殊権益の承認と、中国の領土保全門戸開放機会均等などを決めた。

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精選版 日本国語大辞典 「石井ランシング協定」の意味・読み・例文・類語

いしい‐ランシング‐きょうていいしゐ‥ケフテイ【石井ランシング協定】

  1. 大正六年(一九一七)日本特派大使石井菊次郎と、アメリカ国務長官ロバート=ランシングが調印した日米共同宣言。日本の中国における特殊権益の承認と、中国の領土保全、門戸開放、機会均等などを規定。同一二年、ワシントン会議で廃棄。

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改訂新版 世界大百科事典 「石井ランシング協定」の意味・わかりやすい解説

石井=ランシング協定 (いしいランシングきょうてい)

第1次大戦中,アメリカと日本の間に結ばれた中国に関する共同宣言。二十一ヵ条要求など第1次大戦中の日本の中国侵略に不安をもったアメリカは,1917年の対独参戦を機に日本からの特使派遣を要請し,日本は前外相石井菊次郎を特使として派遣した。同年9月,石井は国務長官R.ランシング交渉を開始,日本の中国における特殊地位を強調した。これに対してランシングは日本の行動を抑制するため,中国での勢力圏の撤廃と領土保全,機会均等について宣言することを求めた。結局同年11月両者交換公文に署名したが,その前段で,アメリカは中国での日本の特殊権益を認め,後段では中国の領土保全,門戸開放,機会均等の原則をうたった。協定は一時的に日米間の対立緩和に役だった。日本はこれをもって二十一ヵ条要求に基づく日中条約をふくむ日本の特殊地位が承認されたとしたが,アメリカは日本の特殊地位は経済的利益のみをさし,政治的権利をふくまないものと解釈し,両者の解釈は大きくくい違っていた。結局,この協定はワシントン会議での九ヵ国条約締結にともなって23年廃棄された。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「石井ランシング協定」の意味・わかりやすい解説

石井‐ランシング協定
いしいらんしんぐきょうてい

1917年(大正6)11月2日、日本の特派大使石井菊次郎とアメリカの国務長官ランシングR. Lansingの間で交換された公文による共同宣言。要旨は、アメリカ政府は、日本が中国とくに満蒙(まんもう)地方に「特殊な利益」を有することを承認する、日米両国は中国の領土保全、門戸開放、商工業に対する機会均等主義を支持する、というもの。第一次世界大戦中の対日宥和(ゆうわ)政策の一環としてアメリカは、列国の勢力範囲を撤廃して中国の門戸を開放すれば、中国市場に近い日本は有利な地位にたつと説き、石井もこれに賛成であったが、時の寺内正毅(てらうちまさたけ)内閣は、対華二十一か条要求に盛られている日本の特殊権益の承認を協定に含めるよう訓令し、折衝のすえ協定は成立した。しかし、中国はただちに協定に対する抗議を表明し、また日本は政治的な特殊権益をも認められたと解釈したが、アメリカは経済上の関係の承認であるとし、両国の意見は対立した。1922年(大正11)九か国条約が成立すると協定廃棄が提起され、翌23年4月14日、廃棄の交換公文が取り交わされた。

[大森とく子]

『外務省編『明治百年史叢書 日本外交年表竝主要文書 上』(1955・原書房)』

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百科事典マイペディア 「石井ランシング協定」の意味・わかりやすい解説

石井=ランシング協定【いしいランシングきょうてい】

1917年11月,日本特命全権大使石井菊次郎と米国国務長官ランシングとの間にかわされた,中国に関する日米共同覚書。中国における日本の特殊権益の承認,中国の領土保全,門戸開放,商工業上の機会均等などを規定。日本は二十一ヵ条要求に基づいた日中条約を含む日本の特殊地位が認められたとしたが,第1次大戦後,日米の勢力関係は逆転,中国での日本の特殊権益も1922年のワシントン会議,九ヵ国条約で否認されて,この協定も空文化し,1923年4月廃棄。
→関連項目寺内正毅内閣

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「石井ランシング協定」の意味・わかりやすい解説

石井=ランシング協定
いしい=ランシングきょうてい
Lansing-Ishii Agreement

1917年 11月2日ワシントン D.C.で石井菊次郎特使と R.ランシング国務長官との間にかわされた「中国に関する日米交換公文」のことで,両者の名前を取ってこう呼ばれる。内容は,アメリカが「中国において日本が特殊の利益を有している」ことを承認し,他方日本は「この特殊利益によって他国に通商上の差別待遇を与えない」ことを約束し,同時に両国が「中国の領土保全,門戸開放,機会均等主義」を確認したもの。第1次世界大戦の間隙を縫って日本が山東に派兵をしたことなどから日米関係は悪化していたが,これにより改善された。しかし,「特殊利益」の解釈は当初から食違っており,23年4月アメリカの圧力のもとで廃棄された。 (→門戸開放政策 )

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「石井ランシング協定」の解説

石井・ランシング協定
いしい・ランシングきょうてい

1917年(大正6)11月,石井菊次郎特派大使とアメリカのランシング国務長官の間で結ばれた中国に関する共同宣言。9月初旬からの交渉で,日本は中国における特殊利益を承認させることを主目標とし,アメリカ側は機会均等・勢力範囲撤廃の確約を求めてこれに反対した。日本は中国における門戸開放・機会均等・領土保全を認める一方,「合衆国政府は日本国が支那に於て特殊の利益を有することを承認す」との言葉を条文に挿入させることに成功した。日本側はこれを政治的特殊権益も保証されたものとし,アメリカ側は経済関係のみとするという解釈上のくいちがいを生んだが,協定は九カ国条約の締結で23年に廃棄された。

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「石井ランシング協定」の解説

石井‐ランシング協定(いしい‐ランシングきょうてい)

1917年11月2日に成立した日米共同宣言。第一次世界大戦中,東アジアにおいて日本はひとり勢力拡張に努め,中国の山東省および太平洋におけるドイツ権益の獲得と,満洲,モンゴルにおける勢力の伸張を企図した。これに対してアメリカは,満洲だけは日本の「特殊利益」の地域として承認するが,それ以上の日本の進出を牽制しようとする態度に出て,駐米大使石井菊次郎と米国務長官ランシング(Robert Lansing)の共同宣言を結んだ。23年4月廃棄。

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旺文社世界史事典 三訂版 「石井ランシング協定」の解説

石井−ランシング協定
いしい−ランシングきょうてい

1917年11月,日本の特派大使石井菊次郎とアメリカ国務長官ランシングとの交渉で成立した,中国利権に関する協定
二十一か条要求以後悪化した日米関係の調整をはかったもの。この協定によりアメリカは,中国における日本の特殊利益(のち,政治的特権の有無で対立)を認めるいっぽう,日米両国で中国の独立と領土保全・門戸開放・機会均等の原則を確認し合った。1922年のワシントン会議における九か国条約の成立により,1923年に廃棄された。

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旺文社日本史事典 三訂版 「石井ランシング協定」の解説

石井‐ランシング協定
いしい‐ランシングきょうてい

1917年11月,日本特派大使石井菊次郎とアメリカ国務長官ランシングとの間で成立した中国に関する協定
二十一カ条要求(1915)以後悪化した日米関係の調整をはかったもので,この協定によりアメリカは中国における日本の特殊利益(のち政治的特権の有無で解釈が対立)を認め,また日米両国は中国の独立と領土保全・門戸開放・機会均等の原則を確認し合った。'22年の九カ国条約により'23年に廃棄。

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