日本大百科全書(ニッポニカ) 「石川家成」の意味・わかりやすい解説
石川家成
いしかわいえなり
(1534―1609)
戦国・安土桃山時代の武将で、徳川家康の重臣。父は清兼(きよかね)、母妙西尼は家康の母於大(おだい)の実姉。1558年(永禄1)の松平元康(家康)の初陣、三河寺部城(てらべじょう)攻めで先鋒となる。1563年の三河一向一揆では、浄土宗に改宗して家康に従う。翌年一向一揆を鎮定した頃から、三河を東西に二分した軍事指揮体系がとられるようになり、家成は旗頭(はたがしら)として西三河の諸将を統括。1569年に遠江国掛川城を攻略すると、家成はその城番となり、西三河諸将の指揮権は甥石川数正(かずまさ)に譲った。1580年(天正8)に家督を康通(やすみち)に譲り、1590年の家康の関東転封後、伊豆国梅縄(うめなわ)で隠居料5000石を賜る。1607年(慶長12)の康通死去後、嫡孫忠義が幼少だったため美濃国大垣城に移って補佐し、1609年に没した。
[本多隆成]
『中村孝也著『家康の臣僚 武将篇』(1988・国書刊行会)』