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石川家成 いしかわいえなり

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

石川家成
いしかわいえなり

[生]天文4(1535)
[没]慶長14(1609).10.29.
戦国時代,徳川氏の宿老。日向守と称した。清兼 (忠成) の子。母は徳川家康乳母家康に仕え,永禄 12 (1569) 年今川氏真滅亡後,遠江掛川を守備。元亀1 (70) 年姉川の戦い天正 12 (84) 年小牧・長久手の戦いなどに功があり,同 18年家康の関東入国に際し,隠居分として伊豆梅縄 5000石を与えられた。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

石川家成 いしかわ-いえなり

1534-1609 戦国-江戸時代前期の武将,大名。
天文(てんぶん)3年生まれ。石川清兼(きよかね)の次男。母は伝通院の姉。徳川家康の家臣。永禄(えいろく)6年改宗して三河(愛知県)の一向一揆(いっき)を鎮圧。12年遠江(とおとうみ)(静岡県)掛川城主。隠居していたが長男康通(やすみち)の死により,慶長12年美濃(みの)(岐阜県)大垣藩主石川家2代となる。慶長14年10月29日死去。76歳。通称は彦五郎。

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世界大百科事典 第2版の解説

いしかわいえなり【石川家成】

1534‐1609(天文3‐慶長14)
徳川家康の重臣。通称彦五郎。日向守。三河国西野に生まれる。父清兼は松平氏(徳川氏)の重臣。家成は家康に仕え三河一向一揆のさい改宗して家康方に付いた。永禄末年,西三河の諸士を指揮する旗頭(はたがしら)となった。遠江掛川城を与えられ武田信玄の三河・遠江侵攻にさいし堅守した。関東入部時では伊豆国梅縄で隠居料5000石,子康通の死後は美濃大垣5万石を沙汰した。【煎本 増夫】

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

石川家成
いしかわいえなり
(1534―1609)

戦国・安土桃山時代の武将で、徳川家康の重臣。父は清兼(きよかね)、母妙西尼は家康の母於大(おだい)の実姉。1558年(永禄1)の松平元康(家康)の初陣、三河寺部城(てらべじょう)攻めで先鋒となる。1563年の三河一向一揆では、浄土宗に改宗して家康に従う。翌年一向一揆を鎮定した頃から、三河を東西に二分した軍事指揮体系がとられるようになり、家成は旗頭(はたがしら)として西三河の諸将を統括。1569年に遠江国掛川城を攻略すると、家成はその城番となり、西三河諸将の指揮権は甥石川数正(かずまさ)に譲った。1580年(天正8)に家督を康通(やすみち)に譲り、1590年の家康の関東転封後、伊豆国梅縄(うめなわ)で隠居料5000石を賜る。1607年(慶長12)の康通死去後、嫡孫忠義が幼少だったため美濃国大垣城に移って補佐し、1609年に没した。[本多成]
『中村孝也著『家康の臣僚 武将篇』(1988・国書刊行会)』

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