石巻(市)(読み)いしのまき

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

石巻(市)
いしのまき

宮城県東部、旧北上川河口を中心に石巻港を中核に広がる都市。1933年(昭和8)市制施行。1955年(昭和30)蛇田(へびた)村と荻浜(おぎのはま)村、1959年渡波(わたのは)町、1967年稲井町を編入。2005年(平成17)桃生(ものう)郡河北町(かほくちょう)、雄勝町(おがつちょう)、河南町(かなんちょう)、桃生町、北上町(きたかみまち)、牡鹿(おしか)郡牡鹿町を合併。『日本書紀』仁徳(にんとく)天皇55年の条に「伊寺水門(いしのみなと)」の名があり、これが当地と推定される。東部の牡鹿半島はリアス式海岸であり、属島として田代(たしろ)島がある。半島基部渡波港の奥には万石(まんごく)浦がある。旧北上川右岸に洪積台地の日和(ひより)山、左岸には牧(まぎ)山がある。西部は沖積低地となって数列の浜堤が走る。北東部の市の境界には籠峰(かごぼう)山などの山地がある。仙台へはJR仙石線(せんせきせん)、小牛田(こごた)、女川(おながわ)へは石巻線が通じ、気仙沼(けせんぬま)線が分岐する。国道45号、108号、398号が走り、三陸自動車道石巻河南、石巻女川、河北、桃生豊里、桃生津山の各インターチェンジがある。
 源頼朝(よりとも)による平泉攻撃後の1189年(文治5)、葛西清重(かさいきよしげ)が奥州総奉行(ぶぎょう)に任ぜられ、牡鹿、本吉(もとよし)(宮城県)、気仙、磐井(いわい)、江刺(えさし)、胆沢(いさわ)(岩手県)などの諸郡を領し、石巻の日和山に城を築いたといわれる。江戸初期に仙台藩の川村孫兵衛重吉は河道の付け替えを行い、石巻が北上川の河口となった。これにより、仙台藩だけでなく一関(いちのせき)藩、盛岡藩の米を江戸に輸送する積出し港として繁栄することになった。海運の発達に伴い造船業もおこった。仙台藩では幕府の許可を得て享保(きょうほう)年間(1716~1736)から藩内の補助貨幣をつくったが、その地は市内に「鋳銭場(いせんば)」の地名として残っている。明治維新後も石巻は舟運で栄え、牡鹿半島の荻浜港も神戸―横浜―函館(はこだて)を結ぶ定期航路の中継地となった。1890年(明治23)東北線(現、JR東北本線)が盛岡まで開通し、石巻港は一時衰退したが、漁業の根拠地としてふたたび繁栄を取り戻した。中心市街地は旧北上川河口の両岸に広がり、商業・行政地区は右岸に集中している。1967年定(じょう)川河口の釜(かま)地区に石巻工業港が完成し、その東にある製紙工場とともに工業地区を形成。1974年新魚市場が長浜地区に完成し、背後用地造成が行われた。缶詰、練り製品などの水産加工場が多く、水産加工団地がある。1964年、新産業都市に、1993年(平成5)には地方拠点都市地域に指定されている。1988年、石巻専修大学が開学した。沼津貝塚は縄文時代の遺跡で国の史跡、その出土品は重要文化財に指定されている。観光地としては、葛西氏の旧城跡と伝える日和山公園、伊達政宗(だてまさむね)の遣欧使節支倉常長(はせくらつねなが)の出航地月浦(つきのうら)などがある。月浦近くには、復元した遣欧使節船を備えた宮城県慶長使節船ミュージアム「サン・ファン館」がある。また、旧北上川の川中島の中瀬には、市ゆかりの漫画家石ノ森章太郎を記念した石ノ森萬画(まんが)館、現存する最古の木造教会堂の旧石巻ハリストス正教会教会堂がある。川村孫兵衛をしのんで7月末~8月初旬に行われる川開きも有名。面積554.58平方キロメートル、人口14万7214(2015)。[後藤雄二]
〔東日本大震災〕2011年の東日本大震災では最大で8メートル以上の津波に襲われ、死者3553人・行方不明423人、住家全壊2万0042棟・半壊1万3049棟を数えた(消防庁災害対策本部「平成23年東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)について(第157報)」平成30年3月7日)。2018年3月現在、市街地の整備をはじめ、港の復旧、水産物地方卸売市場の整備、水産加工団地の復旧、海岸堤防の建設、避難道路と幹線道路の整備、避難ビル・避難タワーの指定・建設などの復興事業に取り組んでいる。
『『石巻市史』全6巻(1958~1963・石巻市)』

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