革帯に宝石の飾りを付ける風習は中国に由来するものであるが、中国では「玉帯」と称するのが普通であり、「石帯」は日本独自の呼称。日本語では宝石も含めて「いし」と呼ぶところから作られた和製漢語か。本語をそのまま訓読みした「いしのおび」も、和文資料などでしばしば使用されている。
公家(くげ)の正装である束帯や準正装の布袴(ほうこ)に用いられる玉、石、角(つの)などの飾りをつけた革帯(かわおび)。訓読して「いしのおび」ともいう。束帯は袍(ほう)を着て腰部を石帯で束ね締めるためにつけられた名称で、石帯はこの装束にとって重要な構成要素の一つである。革に黒漆を塗った帯の一端に鉸具(かこ)または水緒金(みずおがね)といわれる締め金具をつけ、他端に革先金(かわさきがね)をはめ、革の要所に数個の穴をあけて鉸具の刺金(さすが)を刺し通して留める。養老(ようろう)の衣服令に規定された朝服では腰帯(ようたい)といわれ、五位以上金銀装、六位以下烏油(くろつくり)としている。腰帯の後ろ腰にあたる部分に銙(か)という金や銀または黒塗りの銅の飾りを据え付けて並べることとなっている。
正倉院宝物の聖武(しょうむ)天皇使用腰帯には碧玉(へきぎょく)の銙がつけられ、道明寺天満宮伝来菅原道真(すがわらのみちざね)所用といわれる腰帯には、銀銅浮彫りの銙15個がつけられている。平安時代中期になって、和様化した朝服を束帯とよび、腰帯を石帯というようになった。銙の形に方形と円形とがあり、前者は巡方(ずんぽう)といわれて儀式に用い、後者は丸鞆(まるとも)といわれて平常の参内に用いた。中世以降、両端に巡方2個ずつと、中間に丸鞆6個を並べたものを通用帯とよんで、儀式と平常に兼ねて用いた。銙の材質は、玉を最高とし、瑪瑙(めのう)、犀角(さいかく)、烏(う)犀角(実際は牛角)などで、玉や瑪瑙には有文と無文があり、有文は公卿(くぎょう)以上が用い、文様は鳳凰(ほうおう)、鶴(つる)などの丸、鬼形、獅子(しし)形、唐花などを浮彫りとし、毛彫りしたものを陰文(かくしもん)とよんだ。無文で玉の巡方は天皇が神事に用いる帛御服(はくのぎょふく)または御祭服のとき、犀角の丸鞆は殿上人(てんじょうびと)が平常のとき、烏犀角は、重服(じゅうぶく)といって重い喪に服するときおよび六位以下の者がつねに用いた。
鎌倉時代後期には、着脱の便宜上、形式を変えて後ろ腰に当てる部分のみ古式を残し、腹に当てる部分は省略して紐(ひも)で結ぶようにした。すなわち、後ろ腰に当てる本帯といわれる部分と、上手(うわて)といわれる後ろ腰に回す締め余りの部分のそれぞれの一端に紐を通して相互を綴(と)じ付け、別に本帯の両端につけた紐を腹部に回して結び締めるようにした。
[高田倭男]
石製の装飾板を革帯に装着した銙帯(かたい)の一種。おもに平安時代の官人・貴族や公家装束に使われた。白石や水晶の場合には玉帯,ふつうのものを石帯(雑石帯)として区別することもあり,また素材が石以外の角製であっても石帯と称することもある。律令官人の服制は推古朝以来,たびたび変わったが,腰帯については707年にそれまでの組紐による条帯を金銀,銅製の銙帯に改め,以後796年まで行われる。807年にいったん,旧に復するが810年には石帯に変わる。《延喜式》によると3位以上と4位の参議は白玉帯,5位は瑪瑙(めのう),玳瑁(たいまい),斑犀(はんさい),象牙,沙魚皮(さめかわ),紫檀,金銀刻鏤,唐帯,6位以下は烏犀角(くろきさいかく)とあり,《和名抄》には波斯馬脳,紀伊石,出雲石,越石,散豆(犀角の一種か)などがあり,珍貴な材を求めたことが知られる。石銙のかたちは銅銙帯と同じく,方形の巡方(じゆんぽう)と半円形の丸鞆(まるとも)の組合せからなり,長方形の透し孔を伴うものがある。これは袋,小刀,砥石など各種の垂飾を下げるための孔である。はじめは官位によって銙の大・小が定められていたようであるが,しだいに華美な服飾具としての傾向が強くなり,花鳥文,狩猟文,獅子文,鬼文などを彫り込んだ隠文帯や巡方のみをつける巡方帯(公式),丸鞆のみの丸鞆帯(略式)がおこなわれた。中世以後はすたれるとともに鉸具(かこ)の金具が略されて組緒で締める型式にかわる。伝世品として正倉院の紺玉帯,斑貝帯,斑犀帯がある。紺玉帯はペルシア原産のラピスラズリで銀製の鉸具がつく。斑貝帯は夜光貝を用いたもの。また大阪道明寺天満宮の伝菅公遺品中の銀装革帯は魚子(ななこ)地に人物・鹿狩猟文と鴛鴦文を高彫し,水晶玉を嵌装したものである。広島厳島神社の石帯は儀器ではあるが銅地の巡方帯である。
執筆者:佐藤 興治
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…朝服の革帯に垂れ下げるものは小刀,大刀,火打石,針筒,矢筒,弓弦などの実用品が主で,このような佩飾品も遊牧民族の服装様式から伝えられたものである。日本の宮廷服飾にとり入れられた革帯や石帯(せきたい)も,中国唐代の朝服の革帯に由来する。【杉本 正年】
【日本の帯】
日本の帯も,衣服を身体に固定する目的や,刀やその他のものを腰につるすための機能本位の紐から発達したが,後世小袖(こそで)が社会の中心的衣服となるに至って,とくに女帯にあってはそうした機能をこえて,小袖を基本とした和装美の重要な構成要素となった。…
…武家も将軍以下五位以上の者は大儀に際して着装した。束帯の構成は冠,袍(ほう),半臂(はんぴ),下襲(したがさね),衵(あこめ),単(ひとえ),表袴(うえのはかま),大口,石帯(せきたい),魚袋(ぎよたい),履(くつ),笏(しやく),檜扇,帖紙(たとう)から成る。束帯や十二単のように一揃いのものを皆具,あるいは物具(もののぐ)といった。…
…
[歌舞の舞人装束]
歌舞とは,神楽(御神楽(みかぐら)),大和(倭)舞(やまとまい),東遊(あずまあそび),久米舞,風俗舞(ふぞくまい)(風俗),五節舞(ごせちのまい)など神道系祭式芸能である。〈御神楽〉に使用される〈人長舞(にんぢようまい)装束〉は,白地生精好(きせいごう)(精好)の裂地の束帯で,巻纓(けんえい∥まきえい),緌(おいかけ)の冠,赤大口(あかのおおくち)(大口),赤単衣(あかのひとえ),表袴(うえのはかま),下襲(したがさね),裾(きよ),半臂(はんぴ∥はんび),忘緒(わすれお),袍(ほう∥うえのきぬ)(闕腋袍(けつてきほう)――両脇を縫い合わせず開いたままのもの),石帯(せきたい),檜扇(ひおうぎ)(扇),帖紙(畳紙)(たとうがみ),笏(しやく)を用い,六位の黒塗銀金具の太刀を佩(は)き,糸鞋(しかい)(糸で編んだ沓(くつ))を履く。手には鏡と剣をかたどった輪榊を持つ。…
※「石帯」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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