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石舞台古墳 いしぶたいこふん

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

石舞台古墳
いしぶたいこふん

奈良県高市郡明日香村島ノ庄にある壮大な方形墳。1辺の長さ約 54m。堀をめぐらしているが空堀の外堤ではかると,南北 83m,東西 81mある。現在上部の封土はなくなり,横穴式石室が露出しているが,石室の長さ 7.7m,幅 3.4m,高さ 4.8m,羨道 (通廊) の長さ約 12m,幅 2.4m,高さ 2.6mで,天井石の最大のものは 77tに達するという。

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デジタル大辞泉の解説

いしぶたい‐こふん【石舞台古墳】

奈良県高市郡明日香村島庄にある飛鳥時代の古墳。巨大な横穴式石室が露出し、天井石が舞台のように大きいためにこの名がある。蘇我馬子(そがのうまこ)の墓とする説もある。

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百科事典マイペディアの解説

石舞台古墳【いしぶたいこふん】

奈良県高市(たかいち)郡明日香(あすか)村にある1辺約50mの方墳。巨石で築かれた横穴式石室が露出し,舞台状の外観を呈しているのでこの名がある。俗に蘇我馬子の墓といわれる。
→関連項目明日香[村]末永雅雄

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世界大百科事典 第2版の解説

いしぶたいこふん【石舞台古墳】

奈良県明日香村島庄にある巨石積みの横穴式石室を主体とする古墳(特別史跡)。墳丘は空濠と外堤をめぐらせた2段積みの方墳,あるいは上円下方墳で,上段の盛土がなくなり,天井石が露出しているためこの名称がある。墳丘の四周と外堤斜面には人頭大の花コウ岩玉石を列石状に葺いている。墳丘基底部で東西各辺長さ約55m,南北各辺長さ約52m,外堤南辺外側長さ約85m。墓室は粗い加工による花コウ岩巨石を積む両袖式の横穴式石室で,玄室壁は側壁3段積み,奥壁2段積みで,やや内傾する。

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大辞林 第三版の解説

いしぶたいこふん【石舞台古墳】

奈良県高市郡明日香あすか村にある古墳。方墳。巨石を用いた横穴式石室が露出している。蘇我馬子そがのうまこの墓にあてる説がある。

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国指定史跡ガイドの解説

いしぶたいこふん【石舞台古墳】


奈良県高市郡明日香(あすか)村島庄にある7世紀ごろの古墳。早くから古墳を覆う封土(盛り土)が失われ、巨大な岩が露出し、その姿から石舞台と呼ばれてきた。これは横穴式石室の玄室部の天井と側壁で、蘇我馬子(そがのうまこ)の墓と伝承され、蘇我馬子桃原墓(ももはらのはか)という別称もある。玄室は、長さ約7.7m、幅約3.5m、高さ約4.7m、羨道(せんどう)は長さ約11m、幅2.5mの規模で、石室内部には排水施設がある。三十数個の石が積まれ、その総重量は2300tと推定され、巨岩は古墳近くの冬野川の上流、多武峰(とうのみね)の麓から運ばれたとみられている。封土がないため、その墳形は明確ではないが、2段積みの方墳とも上円下方墳とも、あるいは、下方八角墳とも推測されている。また、1辺51mの方形基壇の周囲に貼り石された空濠をめぐらし、さらに外堤(南北約83m、東西約81m)をめぐらした壮大な方形墳であるともいわれる。1935年(昭和10)に国指定史跡になり、1952年(昭和27)に特別史跡に指定された。封土が剝がされ、墓が暴かれたのは、蘇我氏に対する懲罰であったとする説もある。現在は国営飛鳥歴史公園の一部として整備されている。近畿日本鉄道橿原線ほか橿原神宮前駅からコミュニティバス「石舞台」下車、徒歩約3分。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

石舞台古墳
いしぶたいこふん

奈良県高市(たかいち)郡明日香(あすか)村島庄(しまのしょう)にある方墳。1辺約54メートル。上部の盛土(もりつち)を失い、巨大な横穴式石室の天井石が露出しているところから、この名がある。1933~75年(昭和8~50)の調査によって、墳丘は幅6~7.5メートルの周濠(しゅうごう)と外堤を巡らす二段築成の方墳、あるいは上円下方墳と考えられる。墳丘の四周と外堤の斜面には人頭大の花崗岩(かこうがん)玉石(たまいし)を外護列石(がいごれっせき)状に葺(ふ)く。墓室は粗い加工を加えた巨大な花崗岩を積む両袖(りょうそで)型の横穴式石室で、南東方向に羨道(せんどう)を開き、全長20.5メートル。玄室の壁面は全体に内傾する。天井石は2個の巨石で覆うが、南側の石材重量は約77トンである。玄室の平面は長方形をし、内法(うちのり)の長さ7.7メートル、幅3.4メートル、高さ4.8メートル。床と側壁の接する東・西・北と石室中軸線沿いに排水溝を巡らせ、玄室床には周囲の溝を残して割石(わりいし)敷きにする。羨道は両側壁とも一段積みで天井石は失われている。626年(推古天皇34)に死んだ蘇我馬子(そがのうまこ)の桃原墓(ももはらのはか)とする説がある。1954年(昭和29)特別史跡に指定。[猪熊兼勝]

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