出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
奈良県明日香村島庄にある巨石積みの横穴式石室を主体とする古墳(特別史跡)。墳丘は空濠と外堤をめぐらせた2段積みの方墳,あるいは上円下方墳で,上段の盛土がなくなり,天井石が露出しているためこの名称がある。墳丘の四周と外堤斜面には人頭大の花コウ岩玉石を列石状に葺いている。墳丘基底部で東西各辺長さ約55m,南北各辺長さ約52m,外堤南辺外側長さ約85m。墓室は粗い加工による花コウ岩巨石を積む両袖式の横穴式石室で,玄室壁は側壁3段積み,奥壁2段積みで,やや内傾する。石室全長約20.5m,南西方向に開口する。天井は2石で覆い,南側の石は重量約77t。玄室平面は長方形を呈し,内法長さ約7.7m,幅約3.4m,高さ約4.8m,床は割石敷きの石床にし,排水溝を玄室周囲と石室中軸にそって刻んでいたらしい。凝灰岩の石棺片らしい石材が出土している。なお,古墳築造の際,小古墳群が破壊されている。626年に死んだ蘇我馬子の桃原墓にあてる説があるが,蓋然性が高い。
執筆者:猪熊 兼勝
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奈良県高市(たかいち)郡明日香(あすか)村島庄(しまのしょう)にある方墳。1辺約54メートル。上部の盛土(もりつち)を失い、巨大な横穴式石室の天井石が露出しているところから、この名がある。1933~75年(昭和8~50)の調査によって、墳丘は幅6~7.5メートルの周濠(しゅうごう)と外堤を巡らす二段築成の方墳、あるいは上円下方墳と考えられる。墳丘の四周と外堤の斜面には人頭大の花崗岩(かこうがん)玉石(たまいし)を外護列石(がいごれっせき)状に葺(ふ)く。墓室は粗い加工を加えた巨大な花崗岩を積む両袖(りょうそで)型の横穴式石室で、南東方向に羨道(せんどう)を開き、全長20.5メートル。玄室の壁面は全体に内傾する。天井石は2個の巨石で覆うが、南側の石材重量は約77トンである。玄室の平面は長方形をし、内法(うちのり)の長さ7.7メートル、幅3.4メートル、高さ4.8メートル。床と側壁の接する東・西・北と石室中軸線沿いに排水溝を巡らせ、玄室床には周囲の溝を残して割石(わりいし)敷きにする。羨道は両側壁とも一段積みで天井石は失われている。626年(推古天皇34)に死んだ蘇我馬子(そがのうまこ)の桃原墓(ももはらのはか)とする説がある。1954年(昭和29)特別史跡に指定。
[猪熊兼勝]
奈良県明日香村島庄にあり,明日香の平地を見渡す台地上に営まれた2段築成の大きな方墳あるいは上円下方墳。墳丘底面は1辺50m余,濠をめぐらした内外斜面に丸石を葺(ふ)く。古くから墳丘を失い,巨大な天井石をもつ横穴式石室が露出していたためこの名がある。南西に開口する石室の全長は約20m。玄室は長さ7.7m,幅3.4m,高さ4.7mで,側壁にそって排水溝をめぐらし,長さ11.5mの羨道(えんどう)中央をまっすぐに貫いて南端へ排出する。付近の島宮(しまのみや)の遺構と結びつけて巨大な石室を蘇我馬子(うまこ)の墓とする解釈もあるが,確証はない。国特別史跡。
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