社会脳(読み)シャカイノウ(その他表記)social brain

デジタル大辞泉 「社会脳」の意味・読み・例文・類語

しゃかい‐のう〔‐ナウ〕【社会脳】

ソーシャルブレーン

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

最新 心理学事典 「社会脳」の解説

しゃかいのう
社会脳
social brain

社会脳とは,自己を他者が脳内でどのように表現するかという脳内表現や,両者がかかわる複雑な社会的環境の処理を担う脳を指す。コミュニケーションを介して社会的な協働生活を営む人間を含む動物にとって,仲間との協調共感競争は必須である。とりわけ,相手の意図言動視線や行動を通して予測したり,欺きを認知したりする能力は適切な社会的適応を保持するために必須である。したがって,社会脳の研究対象は多様であり,対人認知とコミュニケーション,帰属過程,社会規範態度などの社会心理学,自己や他者の意識の推定などを考える認知心理学や発達心理学などに及ぶ。

 社会脳の研究には,自己と他者で形成される社会や集団における適応や不適応,あるいは協調や競争のダイナミックスを,脳の認知的あるいは情動的な情報処理の中で研究する分野が含まれる。社会脳の役割は自己と他者のかかわりを調整しながら,自己を集団内で意味のある社会的存在に位置づけることにある。とくに,他者の利益を導く利他的行動などは,自己への不利益を超えて,他者や社会全体への利益を導くものであって,人間の社会に固有の行動であり,社会脳の特徴となっている。

 言語や動作による他者とのコミュニケーションも相手の心的状態を推測する手がかりとなっており,この推測は主に前頭連合野を含む前頭葉が担っている。一方,脳の上側頭回は他者の視線や意図を推定する場合に,また紡錘状回は顔という社会性刺激によく反応することがヒトサルで見いだされている。さらに,大脳辺縁系も自己や他者の情動や動因の理解に重要な役割を果たしている。また社会脳については,社会神経科学social neuroscienceの進展による解明が期待されている。

 ヒトや類人猿などが,他者の心を推定したり,他者が異なる信念をもっているということを理解する心の働きを心の理論theory of mind(TOM)といい,発達心理学で研究が進んでいる。他者の心的状態を読むmind readingということは,他者に自己の心的状態を帰属させることでもある。他者の信念や欲求・情動・意図などにその原因を帰属させるのである。このように,外部からは見えない他者の心を想定して,それに自己の心的状態を帰属させる働きは,社会脳の重要な役割の一つといえる。TOM課題の処理は,脳の前頭連合野内側部を中心とした脳領域で行なわれると考えられている。とくにTOMにおける誤信念課題false belief taskにどの程度正しく答えられるかが,各動物種(あるいは幼児や自閉症患者)における社会脳の成熟や進化の度合いを示す指標となっている。自閉症児をTOMの運用に障害をもつ子どもたちではないかと推定する立場もある(Baron-Cohen,S.,1996)。

 協働生活を営むヒトにとって,他者との協調は重要であるが,これは社会が公正にできており,構成員が公正性の信念をもっていることが前提となっている。社会脳から社会的公正性を考えるには,たとえばゲームを用いた資源の不公平分配に対する神経経済学的な研究が参考になる。これまで,互恵性,利他行動や信頼性など社会生活を営むうえで欠かせない重要な公正性についての社会脳の研究が数多く行なわれてきた。

 一方,進化人類学で社会脳仮説social brain hypothesisとして知られているものは,脳の進化は生態学的環境ではなく,社会的環境における適応過程であるという仮説である(Dumber,R.,1996)。たとえば,縄張りを維持する動物の場合,縄張りの地図を保持するのに特定の脳の記憶機能などが必要となり,このような生態学的環境が脳の進化を促したとする考えに対して,複雑な社会環境こそ脳の大きさの進化とかかわると考えるのが社会脳仮説である。実際,全脳体積に占める脳の新皮質の体積の比率が霊長類で大きくなっており,また集団の大きさとも相関が見られるという。社会的な相互作用の複雑さは,伴侶となる相手を見つけたり,他者の顔を識別したり,場合によっては情報を操作して他者を欺いたりする社会的技能にも表われており,社会脳仮説を支持する理由となっている。 →前頭連合野 →認知神経科学
〔苧阪 直行〕

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