聖書における終末論にかかわる重要な概念。旧約聖書は早くからイスラエルに対する神の支配を語ったが,そこには古代東方に見られる神王の思想はふしぎなほど見いだせない。ユダヤ教の黙示文学の中でエルサレムを中心とするメシアの支配が語られたのは,ヘレニズム期の迫害に抗してであり,かつまた世の終りのこととしてであった。イエスは神の国がイエス自身において現在すると述べ,奇跡をそのしるしとして行ったが,同時にこれは信仰によらなければ知りえず,また自分がユダヤ人によって殺された後でなければ成就しないと語った。すなわちイエスは神の国を語るにあたってユダヤ教のエルサレム中心主義を排し,信仰の内実を明らかにしたのである。この意味でキリスト教神学では,〈神の国Gottesreich〉よりも〈神の支配Gottesherrschaft〉と言うことが多い。パウロは神の国の到来をキリスト再臨の時とし,その時には最後の敵が滅び,死人の復活が成るとした(《コリント人への第1の手紙》15)。これはグノーシス主義や神秘宗教の非歴史的な考えに対立して言われたものである。後のキリスト教会では,神の国の未来性と現在性をめぐってしばしば対立が生じた。正統派は教会の伝統や倫理を重んじ,千年王国説や熱狂主義を異端として排斥した。近代においてカントが神の国を人格の完成としてとらえたのは,理性的倫理的立場からのものである。しかし20世紀に入って聖書の預言や終末論の持つ意義がよりよく認識され,実践的には近代の行きづまりの意識から,さまざまの仕方で〈神の国運動〉が起こっている。ドイツとスイスではC.F.ブルムハルトの影響下にラガツ,クッター,初期のK.バルトが立ち上がって資本主義の悪を攻撃した。アメリカではこれより少し早く〈社会的福音social gospel〉の運動が起こって労働者の中に広まった。日本では内村鑑三の〈再臨運動〉,賀川豊彦の〈神の国運動〉がよく知られている。これらはいずれも若干の,あるいは大幅な修正を受けながらも,現代のキリスト教の重要な要素をなしていることは,疑われない。
→終末論 →千年王国
執筆者:泉 治典
アウグスティヌスの代表作の一つで,22巻の大著。西ゴート族のローマ侵入を契機に,かねて考えていたキリスト教の歴史的弁証を行ったもの。執筆は413年から427年までにわたっている。前半では,ローマの滅亡はローマが真の神を拝まないことに由来するもので,キリスト教の責任ではないこと(1~5巻),ローマとギリシアの宗教は神話的・魔術的なもので,真の宗教ではないこと(6~10巻)を論じ,後半では,宇宙・天使・人類の創造と堕落(11~14巻),アダムよりキリストに至るまでの人類の歴史(15~18巻),最後の審判と神の国の実現(19~22巻)を論じている。叙述は多岐にわたるが,歴史の起源と目標,預言とその成就,神の国と地の国の戦い,諸国民の間を寄留者として生きる教会の現実と希望などを神学的かつ人間学的に考え抜いたことによって,その後のキリスト教的歴史観,国家観,社会観の形成に大きな影響を与えた。
執筆者:泉 治典
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
本来の意味は王としての神の支配をさす。しかしその支配領域も考えられている。神の国(「マタイ伝福音書(ふくいんしょ)」では「天国」)は、イエスの宣教の中心的主題(「マルコ伝福音書」1章15)であるが、『旧約聖書』に根ざす概念である。『旧約聖書』において神ヤーウェはイスラエルの王(「サムエル記」上12章12)で、全世界の支配者でもある。後期ユダヤ教は、神の支配の完全な実現をこの世界の歴史のかなたに期待した。神の国は、サタン的諸力が跋扈(ばっこ)するこの世界の終末をもって始まる。そのとき神は奇跡的に歴史に介入し、サタン的諸力を滅ぼし、神自身の完全な支配を実現するであろう。人は復活と最後の審判を経て神の国に入れられるが、それは究極的な救い、至上の祝福、永遠の生命を意味する。後期ユダヤ教におけるこのような神の国思想は、イエスによって批判的に継承された。一般にキリスト教徒は、神の終末的支配がキリスト再臨のときに実現するものと信じ、それを待望している。
[川島貞雄]
ローマ時代末期の教父・思想家アウグスティヌスの著作。正式には『異教徒を論駁(ろんばく)して神の国について論ずる』と題する。22巻があり、アウグスティヌスの浩瀚(こうかん)な著作のなかでも、『告白録』13巻とともにもっとも著名な代表作の一つである。彼自身もいうように、本書は「大きな、ほねのおれる仕事」であって、410年から426年にわたって執筆されたものである。その間、脱稿するごとに部分的に公刊されていたようである。
本書執筆の動機としてまずあげられるものに、410年8月24日アラリック王に率いられたゴート人が「永遠の都」ローマを陥落させた大事件と、ローマ帝国に襲いかかったこの禍害をキリスト教の責任にしようとする異教徒の非難・攻撃があった。これらに対して、アウグスティヌスは「神の家に対する熱心に燃え立ち」キリスト教の真理を擁護し、地上において巡礼しつつ、ついに勝利の栄光に輝く神の国(都)について、歴史神学的、哲学的な視点から壮大な論考を企図し、実現したのである。本書は、護民官を務めた敬虔(けいけん)なキリスト者であり、殉教したマルケリヌスに献呈されている。本当に善き、あるべき国は信仰の基礎のうえに建てられるべきであるという、彼の年来の主張も本書構想の背景にあることは、マルケリヌスあての手紙などによって知られる。
[中沢宣夫]
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
アウグスティヌスの主著。全22巻(413~427年)。410年アラリックの率いる西ゴート族が「永遠の都」ローマを占領,荒掠した事件に関して,異教徒たちがその責めをキリスト教に帰して非難したのに対して,歴史哲学的立場からなされたキリスト教弁証論。この書には「神の国」と「地の国」との対立として歴史の真相がとらえられ,キリスト教歴史哲学の古典となった。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報
…前1000年ころ,ダビデは油を注がれて,イスラエルの王位についている。 ところで,イエス時代のユダヤ教徒は,この世の終末のときにダビデ王の子孫からメシアが現れて,イスラエルを中心に〈神の国〉をもたらすと信じていた。このヘブライ語の〈メシア〉,正確には〈マーシアハ〉がギリシア語で〈キリスト〉(正確には〈クリストスChristos〉)と呼ばれ,日本では一般的に〈救世主〉と訳されているものである。…
…これら多様なイメージを通じて浮かび上がる教会の姿は,歴史のなかでさまざまの具体的な形をとる信者の共同体と,終末においてはじめて全貌をあらわす〈神秘〉あるいは霊的な現実を重ね合わせたものである。この観点からわれわれは教会とは何であるかを示唆する多様な聖書的イメージを〈神の民〉〈神の国〉〈キリストの体〉の三つにまとめ,それらを手がかりに教会の本質の理解に近づくことにする。教会は〈神の民〉であるというとき,まず思い浮かぶのは旧約聖書のイスラエルの民である。…
…しかし,だからといってキリスト教は厭世的,現世逃避的という意味での来世宗教であるというのは正しくない。なぜなら,キリスト教でいう終末はこの世界および歴史の完成ないし成就だからであり,イエス自身が〈神の国〉についての譬(たと)えで明らかにしたように,それはある意味では“いま,ここに”現存しているからである。キリスト教は歴史の一こまとしてその役割を演じた上で,やがて消え去るのではなく,世の終末まで旅をつづけるという意味でも終末論的宗教である。…
… 福音書がイエスの奇跡を多く記録しているのは,出エジプトのさいの神の関与と同様である。しかしイエスは救いのできごとを示しただけでなく,〈神の国〉での生活と倫理をも示して,救いの状態が何であるかも垣間見せた。イエスの救いは十字架と復活にきわまるが,そこでは死の克服と贖罪(しよくざい)とが一つになっている。…
…特にユダヤ教,キリスト教,イスラムの伝統における他界観念として重要で,〈天国〉の語もkingdom of heavenの訳である。また,パラダイスparadise(ペルシア語pairidaēzaに由来し,原義は〈囲われた場所〉ないし〈園〉で,〈エデンの園〉とも同一視される)や,〈神の国kingdom of God〉と同じ意味で使われることも多い。 古代バビロニアでは,世界は天上界と地上界と冥界からなる3層の建造物と考えられ,人間の住む地上界のはるか上方には,地上をアーチ状に覆う聖なる天蓋があると信じられていた。…
…かくして人類の歴史は,円環的にでなく直線的に把握され,はじめて真の意味での歴史の概念が導入されたといえるであろう。人類の歴史の究極の到達点である〈天国〉は,けっしてアダムとイブの住んだ素朴な楽園の焼直しではなく,文明の義(ただ)しい成熟の姿を示す都市,すなわち〈神の国〉でなければならなかった。 しかし神学的にはともかく人類の心情としては,地上のどこかになんらかの楽園が残っているのではないかという想像を,絶ち切ることができなかった。…
…司教としての生活は,教会の指導と修道士の教育のほか,《三位一体論》《創世記逐語解》《詩篇講解》《ヨハネ福音書講解》など,神学と聖書研究にいとまがなかったが,さらにマニ教,ドナトゥス派,ペラギウス派との多年にわたる論争があり,その徹底した論議を通じてキリスト教の理解を深めていったことは特筆に値する。410年アラリックのローマ侵入を機に大著《神の国》の執筆を始め,ほぼ13年かかってこれを完成した。つづいて《再論》により,これまでの著作活動をまとめている。…
…313年のキリスト教公認を境に,4世紀から5世紀にかけて,《マタイによる福音書》を叙事詩にしたユウェンクスJuvencus,雄弁家ラクタンティウス,賛美歌作者で人文主義に反対した神秘主義者アンブロシウス,古代最大のキリスト教ラテン詩人プルデンティウスとその後継者ノラのパウリヌスなどが活躍したが,古代最大の2人のキリスト教作家も続いて現れた。一人は,全古典作家に精通した人文主義者である一方,聖書をラテン語に翻訳して,異教の伝統とキリスト教とを照応させたヒエロニムス,もう一人はヨーロッパ最初の自叙伝《告白》と,《神の国》などの著作で名高いアウグスティヌスである。こうみてくると,一部にアンブロシウスのような反人文主義の主張があったとはいえ,全体としてはキリスト教作家たちは古典を尊重し,これを習得研究してキリスト教思想と融合させようとしている。…
…こうして〈ローマの平和〉は,主として2世紀にローマの支配によってもたらされた,全般的な比較的平和状態を指す語として用いられるが,すでにこのときには〈ローマの平和〉のための祭壇はつくられず,女神ローマのための祭壇が属州各地に設置され,それが多くの場合皇帝礼拝と結合されて,ローマへの忠誠の重要な表現となった。武力支配にほかならないこのような〈ローマの平和〉の本質を根底から批判したのは,5世紀のアウグスティヌス《神の国》,とくにその第19巻で,ローマの平和を〈地上の平和〉とし,追求すべき真の価値ある平和として,支配によらない〈天上の平和〉を情熱的に論じている。【弓削 達】。…
…アンミアヌス・マルケリヌスのように道徳的堕落という伝統的原因論をとる者もいたが,異教勢力はまた帝国のキリスト教化に衰退の主因をみた。これに対してキリスト教側はキリスト教的ローマ理念をもって対抗するが,410年西ゴートによるローマ市略奪ののち,異教徒に対して最も有効な論駁(ろんばく)をなしえたのは,〈神の国〉と〈地の国〉を区別するアウグスティヌスの《神の国》であった。しかし,古代末期の知識人層は一般に地上のローマ帝国の永続を信じるローマ理念から脱却しきれず,ルティリウス・ナマティアヌスら異教徒にせよ,オロシウスらキリスト教徒にせよ,現今の老齢化が死に至るものであるとは予知せず,なお帝国の若返りを信じていた。…
※「神の国」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...
10/29 小学館の図鑑NEO[新版]動物を追加
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