〈神は存在するか〉という問いは科学的方法によって探求され,解答が発見される種類の問いではないが,人間の発する諸々の問いの根底にひそむ抑えがたい問いであり,すぐれて〈実存的〉ないし〈哲学的〉な問いである。神の存在は霊魂の不滅や意志の自由とともに形而上学の根本問題の一つとされてきたが,カントは形而上学のこうした思弁を人間理性の越権行為として退けた。しかしカントの批判は,神の存在を理論的に証明しようとする試みが大きな困難をふくむことをあきらかにしたが,この試みが不可能であることを証明したとはいえない。その困難とは経験を超越することの困難であり,いいかえると日常言語とは異なった形而上学的言語の体系を確立することの困難である。神の存在証明のなかには,われわれの倫理的経験をふりかえって,それが神の存在を実践的に要請することを示す倫理的証明と,経験的事物の存在から出発して,それとは根元的に区別される高次の実在--ふつう〈神〉の名で理解されているもの--に到達する形而上学的証明があり,哲学的関心の対象になるのはふつう後者である。このほかアンセルムスにさかのぼるア・プリオリ,もしくは〈本体論的〉と称せられる証明,すなわちわれわれが神について抱いている観念から直ちに神が必然的に存在することを結論しうる,という議論があり,こんにちでもその意味や妥当性をめぐって論争がある。経験から出発するア・ポステリオリ証明のうちで最も有名なのはトマス・アクイナスの〈五つの道〉であり,これは経験世界においてあきらかに認められる運動・変化,作動因の系列,存在の偶然・非必然性,完全性の段階,目的志向性などの事実から出発して,第一の動者,第一作動因,必然的存在,最高の存在,宇宙を統宰する知的存在であるところの神に到達する議論である。神の存在証明によって結論される〈哲学者の神〉と信仰の対象としての神を対立させる必要はないが,神の存在証明は神の探求を方向づける役割を果たしうるのみで,いわゆる神との〈実存的出会い〉にまでは導きえないことを忘れてはならない。
→神 →形而上学
執筆者:稲垣 良典
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
キリスト教神学・哲学の問題の一つ。キリスト教において、神は信仰の対象であるが、世界における他のさまざまな事物や信仰者自身の存在が理性によって確認されるのに応じて、神の存在もこれらの事物とは異なる、これらの事物を越える存在として信仰者のうちにおいて理性的な道で確認されることを求められる。神の存在証明とはこの確認の手続である。それゆえ、それは第一義的には信仰者のうちにおける信仰内容の理性的な自己確認の手続であるが、同時に、非信仰者に対しては信仰者による神の存立の弁証となる。
古代ギリシア教父やアウグスティヌスにもその萌芽(ほうが)はみられるが、透徹した論理的な思索を展開した最初の人はアンセルムスである。彼によれば、神とは「それよりも大いなるものが思考されえぬもの」である。このことばを聞き、これを理解する人にとって、それはその人の精神のうちに存する。ところで、精神のうちにだけ存するものと、精神のうちに存するとともに実在のうちにも存するものとでは、後者のほうが前者よりも大きい。しかるに、神は「それよりも大いなるものが思考されえぬもの」であった。それゆえ、神はただ精神のうちに存するだけではなく、実在のうちにも存する――とされる(『プロスロギオン』2)。これは、神の観念からその存在を証明するものとして、のちに「存在論的証明」ontological argumentとよばれる。近世ではデカルトがこれに似た証明を行った。この証明の妥当性については、カント、ヘーゲルをはじめ多くの哲学者が賛否両論を唱え、今日に至るまで論争が絶えない。
これに対してトマス・アクィナスは、経験論的な基盤から、世界存在の認識に基づき、世界存在を存立させている根拠として神の存立を論証しうるとした。それには五つのやり方があり、「五つの道」quinque viaeとよばれる。第一から第三の道は世界存在の運動変化の事実から出発し、運動変化の第一根拠として神の存立を論証するものであり、アリストテレスによっている。第四の道は世界内の存在事物にみられる完全性の段階の相違に基づき、この段階を成立させる根拠として最高に完全なものである神を論証する。第五の道は世界内に存する理性的秩序の根拠として神を論証する(『神学大全』第1部2の3)。これら世界存在から出発する論証は総括して「宇宙論的論証」cosmological argumentとよばれる。カントは、これらを理性の合理性の要求としては不可避であるが、客観的な妥当性はもちえぬものとし、神はこれらとは別の道で求められるべきであるとした。
[加藤信朗]
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