安土(あづち)桃山時代から江戸時代初期にかけての九州博多(はかた)の豪商。神屋、紙屋宗旦、宗丹などとも書く。代々博多に住む貿易商で、曽祖父(そうそふ)寿禎(じゅてい)は明(みん)から銀精錬の新技術を学び、石見(いわみ)大森銀山を経営して巨富を築いた。1569年(永禄12)大友・毛利氏の争いで博多が焼亡すると、父とともに肥前唐津(からつ)に移り、86年(天正14)出家して宗湛と号した。翌年豊臣(とよとみ)秀吉が博多の復興を計画すると、島井宗室(そうしつ)とともに召し出され、復興事業に力を尽くした。宗湛は茶道にも通じ、千利休(せんのりきゅう)、津田宗及(そうきゅう)らとも交わり、秀吉もしばしば茶会に彼を招いた。秀吉の朝鮮出兵にあたっては、名護屋(なごや)にあって軍需物資の調達輸送などにあたった。関ヶ原の戦い後、黒田家が領主として入国すると、もっとも有力な御用商人として登用され、また櫨蝋(はぜろう)の生産、鉱山開発、博多そうめん、博多織など藩内の産業開発にも貢献したといわれる。『宗湛日記』は彼の茶会記録であるが、当時の豪商を理解するための史料としても重要である。
[村井益男]
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