平安時代,在地豪族らが大規模に経営した田をいう。797年(延暦16)の太政官符は,親王および王臣家の荘園の経営に当たっている荘長が私田(佃)を営むことを禁じた。しかし,ここにいう私田すなわち私営田の経営は富豪層による直営地経営であって,耕作者に種子(籾)と農料(功料と食料)を支給し,営料(種子,農料)を除いた全収穫を経営者が収納するものであった。9世紀半ばごろ,前豊後介正六位上中井王は,国司解任の後も豊後国に住んで日田郡に私宅を置き,諸郡に私営田を設置し,また私出挙(しすいこ)を行って百姓を収奪したという。こうした富豪層の活動は,百姓をおびやかすのみならず,国司による調・庸収取の体制にも脅威を与えるものであった。私営田経営の具体相を示す史料は乏しいが,823年(弘仁14)大宰府管内の公営田(くえいでん)制の内容を詳細に述べている大宰大弐小野岑守(みねもり)の建議文に,その経営方式は〈一に民間(営田)の如し〉とあることからうかがうことができる。
→公営田
執筆者:阿部 猛
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
平安時代の初・中期、地方民間において直営方式で経営された田地。私佃(しでん)ともいう。公営田(くえいでん)に対する。経営主が稲穀等の元本を準備し、集めた農人らにこれを功食(こうじき)料として与え、用水などの費用を支出して耕作させ、秋にその全収穫を経営主が収納する方式をとった。農人を確保するため魚酒等を給与することもあった。私営田の経営は、その周辺にはるかに大規模な小作経営の地子田(じしでん)を伴い、それとの結合のうえに成り立っており、同時に経営主が行った高利貸付の私出挙(しすいこ)が、その経営の維持拡大と農民支配を支えていた。在地豪族はこのような私営田経営を中核として所領を形成し、中世領主に発展した。中世の領主佃は私営田の後身である。
[戸田芳実]
出典 旺文社日本史事典 三訂版旺文社日本史事典 三訂版について 情報
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