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大山綱良 おおやま つなよし

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美術人名辞典の解説

大山綱良

幕末・明治初期の鹿児島藩士・官吏。鹿児島藩士樺山善之進の次男、大山四郎助の養子。通称は格之助・正円等。茶坊主から供目付となり、西郷隆盛大久保利通らと共に王政復古に参加する。戊辰戦争では、奥羽征討軍参謀として、東北諸藩鎮定に軍功があった。廃藩後は鹿児島県大参事、のと鹿児島県令となり、西郷隆盛に協力した。明治10年(1877)歿、53才。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

大山綱良 おおやま-つなよし

1825-1877 幕末-明治時代の武士,官僚。
文政8年11月6日生まれ。薩摩(さつま)鹿児島藩士。文久2年島津久光の命により藩の尊攘(そんじょう)激派をきる(寺田屋事件)。明治7年初代鹿児島県令。西南戦争では積極的に西郷隆盛を支援したため,明治10年9月30日長崎で処刑された。53歳。本姓は樺山。通称は熊次郎,正円,角右衛門,格之助。著作に「大山綱良日誌」。

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朝日日本歴史人物事典の解説

大山綱良

没年:明治10.9.30(1877)
生年:文政8.11.16(1825.12.25)
幕末の薩摩藩士,初代鹿児島県令。樺山善助の次男に生まれ,大山家の養子になる。通称格之助,正円。茶坊主から立身。薩摩独自の剣術示現流の名手。西郷隆盛,大久保利通らの精忠組に属して重きをなしたが,文久2(1862)年の伏見寺田屋騒動では島津久光の命に従い同志を上意討ちした。翌3年の薩英戦争では軍賦役を勤め,以後も薩藩有力者として活躍,王政復古政変のため長州藩軍の上京工作に大久保と共に尽力。戊辰戦争では奥羽鎮撫参謀に任じ奥羽各地に転戦して東北諸藩鎮定に軍功あり,明治2(1869)年賞典禄800石を下賜された。4年8月鹿児島県大参事,7年同県令。征韓論政変(1873)で敗北した西郷隆盛らが帰郷して私学校を経営し中央政府への抵抗の構えをとると,県令として私学校党を全面的に支持,西南戦争でも西郷・私学校党と行動を共にしたため,10年3月官位を剥奪され,9月長崎で斬刑に処せられた。<著作>『大山綱良日誌』

(福地惇)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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世界大百科事典 第2版の解説

おおやまつなよし【大山綱良】

1825‐77(文政8‐明治10)
幕末維新期の薩摩藩士,鹿児島県初代県令。薩摩藩士横山善助の次男で大山家を継ぐ。格之助と称した。1859年(安政6),誠忠組のメンバーが藩主島津忠義に血誓の請書を出した署名48人の一人で,寺田屋事件では,島津久光の命で志士の鎮圧にあたり,また,倒幕運動で活躍した。戊辰戦争では奥羽鎮撫総督府参謀となる。69年(明治2)の藩政改革では監察局総裁,ついで鹿児島県大参事,権令を経て74年県令。75年の地方官会議では民会の設置を批判し,金禄公債発行に際しては鹿児島士族への特別措置を認めさせた。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

大山綱良
おおやまつなよし

[生]文政8(1825).鹿児島
[没]1877.9.30. 長崎
幕末の薩摩藩士,初代鹿児島県令。薩摩藩の茶坊主出身で通称は格之助。戊辰戦争 (1868~69) では奥羽征討総督の参謀となる。鹿児島県令のとき,第1回地方官会議で民会開設に反対。保守的思想をもち,鹿児島の私学校援助者となった。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

大山綱良
おおやまつなよし
(1825―1877)

幕末の志士、明治前期の官僚。文政(ぶんせい)8年11月6日薩摩(さつま)国(鹿児島県)に生まれる。通称は格之助、角右衛門など。示現流(じげんりゅう)剣術の達人で、1862年(文久2)の寺田屋事件の際に島津久光(しまづひさみつ)の命を受けて尊攘(そんじょう)派の有馬新七(ありましんしち)らを上意討ちした。その後、薩摩藩の倒幕運動で活躍。1868年(慶応4)の戊辰(ぼしん)戦争には征討大将軍嘉彰(よしあき)親王の軍事参謀、ついで奥羽鎮撫(おううちんぶ)総督府参謀として功績をあげ、賞典禄(ろく)800石を賜った。1871年(明治4)鹿児島県参事。1873年県権令。1874年県令に昇進。1877年の西南戦争に際して西郷軍を支援し、県の公金15万円を提供した。そのため同年(明治10)9月30日長崎において斬罪(ざんざい)に処せられた。[毛利敏彦]

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世界大百科事典内の大山綱良の言及

【奥羽越列藩同盟】より

戊辰戦争に際し,東北・北陸諸藩が結んだ反薩長同盟。1868年(明治1)3月下旬,奥羽鎮撫総督九条道孝は,参謀大山綱良(つなよし),世良修蔵らとともに仙台に入り,東北諸藩に会津藩征討の命を発した。仙台藩と米沢藩は,会津藩の謝罪と寛典の斡旋を行い,閏4月11日,盛岡,二本松など14藩の重臣を仙台藩白石城に集め,総督府に列藩連署の嘆願書を提出した。…

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