幕府などの公権力が発布した徳政令によらず,私的に徳政の名で本来の持主が売買物,質入物を取り戻すこと。室町時代の社会の基層部には,なお移転した物,とくに土地は本来の持主のもとに帰るのが正しい姿であるという観念が強く存在し,種々の〈交替〉観念にもとづく契機により私徳政が行われる,〈徳政状況〉ともいうべき状態が存在した。この私徳政の形態としては,地発(じおこし)などのように個別的にひろく移転した所有物を取り戻すかたち,また一揆や郷村が集団のメンバーに限定して徳政を施行する在地徳政,さらに徳政一揆が施行する私徳政などがあった。徳政一揆は,徳政令を要求するいっぽう,徳政と号して広く私徳政を施行した。幕府徳政令が出されなかった正長の徳政一揆はもちろんのこと,嘉吉の徳政一揆(嘉吉の徳政)も私徳政を行ったあと徳政令を出させたのである。その意味で,この時期の徳政令は,私徳政を限定するという徳政禁制的性格を一面ではもっていた。
→徳政
執筆者:勝俣 鎮夫
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
中世に,徳政と号して蜂起した土一揆が,売買物や質物を力ずくで取り戻し,徳政を実現すること。幕府や朝廷などの公権力が徳政令にもとづき実施する徳政に対していう。室町時代に頻発する土一揆は,村落の結合を軸に地域的な勢力結集を行い,実力で私徳政を実現する一方,幕府に徳政令を出すよう要求した。私徳政を行う主体は土一揆であり,それぞれの地域で徳政の実施を宣言した。1428年(正長元)大和国柳生の徳政碑文や41年(嘉吉元)の近江国奥島・北津田両荘の徳政高札などは,在地での私徳政の実施の宣言とされる。私徳政が広く行われた背景には,中世に特有の土地と本主(ほんしゅ)は一体のものとする観念があった。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…鎌倉幕府のいわゆる永仁の徳政令以来,債務破棄と土地取戻しを内容とする徳政を期待する風潮が諸階層の間に強まってきて,それを実行する各地の散発的な動きが積み重なって,正長の土一揆に爆発したといえる。徳政一揆の内容は,土倉を襲って借書を焼き質物を取り戻すことによって個別に債務を破棄するいわゆる私徳政と,幕府や守護などの地方権力に徳政令の発布を要求することの二つからなる。私徳政の裏付けのために徳政令を引き出すのであって,徳政と号するという行為が両者の結びつきを示している。…
※「私徳政」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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