秘密主義を基調とする外交の意。古くから外交は、その交渉や、結果としての取決めは、国内外に対して秘密にしておくというのが一般的であった。しかし第一次世界大戦後は、外交の秘密主義は薄らぐ傾向にある。というのは、秘密外交は、ロンドン密約(1915)、サイクス‐ピコ協定(1916)のように、戦争につながりやすい権力政治(パワー・ポリティックス)の所産であり、外交を独占してきた帝国主義専制政治に付随する慣行であったが、こうした考え方は第一次大戦後、否定されてきたからである。とくに大戦末期の1918年にアメリカのウィルソン大統領が新しい外交のあり方を求めて発表した「十四か条」では、冒頭に秘密外交を排し公開外交を掲げたこと、あるいは革命後のソビエトの指導者レーニンが帝国主義諸国の秘密外交を暴露したことなどが契機となって、権力政治の否定、外交の民主化が各国の一般原則となり、外交の秘密主義は姿を消すようになった。
しかし第二次大戦の戦後処理について多くの事項を米英ソ三国首脳の間で秘密裏に取り決めたヤルタ協定(1945)のように、外交の秘密主義は完全に消滅したわけではなく、各国の外交文書が一定期間後に公開され、秘密にされていた事実が明るみに出されて話題になることがある。
[藤村瞬一]
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外交交渉の過程やその結果を,国民や交渉相手国以外の外国に公開せず,秘密裏に進める外交手法をさす。第一次世界大戦の時期までは一般的に行われていたが,ウィルソンの「十四カ条」や平和に関する布告で批判された。民主主義の普及とともに,外交も国内政治の大きな争点となり,形式的にも議会の批准を必要とする傾向となってからは,旧来の秘密外交はしだいに姿を消していった。
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出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報
…外交官はこの目的の実現に奉仕すべき臣下であり,全権大使とは他国にあって国王を代理して交渉の任にあたるものとされたのである。〈宮廷外交〉の時代には,秘密外交方式は当然のこととされ,他国の国情のスパイから,宮廷内の反対派を籠絡(ろうらく)する陰謀工作や,軍事力の威嚇を用いる一方,賄賂や地位で誘う〈ムチとアメ〉の策略が使われるなど,多様な外交戦術が駆使された。大使は国王の代理者であるから,その任用には家柄・富・風采・社交術といった点が重視され,そのことは外交官一般の場合についてもいえた。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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