竹本住太夫(読み)たけもとすみたゆう

日本大百科全書(ニッポニカ) 「竹本住太夫」の意味・わかりやすい解説

竹本住太夫
たけもとすみたゆう

義太夫(ぎだゆう)節の大夫。7世まである。竹本住大夫とも表記する。

[倉田喜弘 2018年5月21日]

初世

(?―1810)1767年(明和4)に江戸へ下り、大田南畝(なんぽ)(蜀山人)と親しく交わる。通称石町(こくちょう)の住太夫といわれた。大坂では『加賀見山旧錦絵(かがみやまこきょうのにしきえ)』「長局(ながつぼね)」の段で評判をとった。

[倉田喜弘 2018年5月21日]

4世

(1829―1889)紀州(和歌山県)田辺(たなべ)の出身で、世話物の名人といわれた美声家。1884年(明治17)の彦六(ひころく)座創設時に櫓下(やぐらした)となる。

[倉田喜弘 2018年5月21日]

6世

(1886―1959)3世竹本越路太夫(こしじだゆう)の門弟で、小常太夫から常子太夫、八十太夫、文字太夫を経て、1941年(昭和16)に住太夫を継いだ。三和会(みつわかい)の中心となって活躍し、1955年(昭和30)重要無形文化財保持者に認定され、1958年に引退。世話物を得意とし、著書に『文楽浄瑠璃(ぶんらくじょうるり)物語』。

[倉田喜弘 2018年5月21日]

7世

(1924―2018)本名岸本欣一。1985年(昭和60)襲名。1989年(平成1)重要無形文化財保持者に認定。2002年(平成14)日本芸術院会員。2005年文化功労者。2014年に引退、同年に文化勲章受章。

[倉田喜弘 2018年5月21日]

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新撰 芸能人物事典 明治~平成 「竹本住太夫」の解説

竹本 住太夫(6代目)
タケモト スミタユウ


職業
義太夫節太夫(文楽)

専門
人形浄瑠璃

肩書
重要無形文化財保持者(人形浄瑠璃・文楽・太夫)〔昭和30年〕

本名
岸本 吟治(キシモト キンジ)

別名
前名=竹本 小常太夫,竹本 常子太夫(2代目),竹本 八十太夫(7代目),竹本 文字太夫(7代目)

生年月日
明治19年 9月11日

出生地
京都府

経歴
明治29年3代目竹本越路太夫に入門、小常太夫を名乗る。36年2代目常子太夫、大正4年7代目八十太夫、14年7代目文字太夫を経て、昭和16年6代目住太夫を襲名。この間、大正12年より2代目野沢喜左衛門を相三味線に迎える。戦後は三和会に所属。30年人間国宝。33年引退。芸風は渋く、軽妙・洒脱な語り口で世話物を得意とした。代表曲に「近頃河原の達引・堀川猿廻しの段」など。著書に「文楽浄瑠璃物語」がある。

没年月日
昭和34年 1月15日 (1959年)

家族
養子=竹本 住太夫(7代目)


竹本 住太夫(4代目)
タケモト スミタユウ


職業
義太夫節太夫(文楽)

専門
人形浄瑠璃

本名
竹中 喜代松

別名
前名=竹本 田喜太夫

生年月日
文政12年

出生地
紀伊国田辺(和歌山県)

経歴
4代目竹本内匠太夫に入門。のち3代目竹本長門太夫の預り弟子になり、安政7年(1860年)1月4代目竹本住太夫を襲名。盲目の美声で鳴らし、「大文字屋」「阿波の鳴門」などの世話物を得意とした。明治17年文楽座から彦六座へ移り、三味線方・豊沢団平らと彦六座全盛期を築いた。

没年月日
明治22年 1月22日 (1889年)


竹本 住太夫(5代目)
タケモト スミタユウ


職業
義太夫節太夫(文楽)

専門
人形浄瑠璃

本名
吉野 卯之助

別名
前名=竹本 雛太夫,竹本 越太夫(5代目)

生年月日
弘化4年

経歴
4代目竹本越太夫に入門。明治13年4代目住太夫の門下となり、18年5代目越太夫を襲名。22年5代目竹本弥太夫門下となり、31年5代目住太夫を襲名。

没年月日
明治42年 9月 (1909年)

出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報

20世紀日本人名事典 「竹本住太夫」の解説

竹本 住太夫(6代目)
タケモト スミタユウ

明治〜昭和期の義太夫節太夫(文楽)



生年
明治19(1886)年9月11日

没年
昭和34(1959)年1月15日

出生地
京都

本名
岸本 吟一

別名
前名=竹本 小常太夫,竹本 常子太夫(2代目),竹本 八十太夫(7代目),竹本 文字太夫(7代目)

経歴
明治29年3代目竹本越路太夫に入門、小常太夫を名のる。36年2代目常子太夫、大正4年7代目八十太夫、14年7代目文字太夫を経て、昭和16年6代目住太夫を襲名。33年引退。著書に「文楽浄瑠璃物語」。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

朝日日本歴史人物事典 「竹本住太夫」の解説

竹本住太夫(初代)

没年:文化7.3.20(1810.4.23)
生年:生年不詳
江戸中・後期の義太夫節の太夫。摂津住吉(大阪市)の人で,それに因んだ名。本名田中文蔵。2代目竹本政太夫の門弟。宝暦6(1756)年に京都で初出座。明和3(1766)年には人形浄瑠璃の大坂竹本座に出座。一時江戸へ下って日本橋に住み,石町の住太夫と呼ばれる。天明3(1783)年の江戸土産「加々見山旧錦絵」の「長局の段」,8年には江戸での「花上野誉の石碑」の「志渡寺の段」,寛政期三都での「仮名手本忠臣蔵」の「判官切腹の段」などが好評。歌う風潮を廃し,詰めた言い方で語り物の本質を追求したといい,その語り口は「住太夫風」といわれ,現在も「長局」「志渡寺」,「伊賀越道中双六」の「岡崎」に伝わる。名跡は7代におよび,昭和期の6,7代目は重要無形文化財。

(高木浩志)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「竹本住太夫」の解説

竹本住太夫(4代) たけもと-すみたゆう

1829-1889 江戸後期-明治時代の浄瑠璃(じょうるり)太夫。
文政12年生まれ。義太夫節。6代竹本内匠太夫(たくみだゆう)の門弟で,3代竹本長門太夫(ながとだゆう)の預かり弟子。安政7年4代を襲名し,明治17年文楽座から彦六座創設に参加,櫓下(やぐらした)となった。美声で知られ,世話物を得意とした。明治22年1月22日死去。61歳。紀伊(きい)田辺(和歌山県)出身。本名は竹中喜代松。

竹本住太夫(初代) たけもと-すみたゆう

?-1810 江戸時代中期-後期の浄瑠璃(じょうるり)太夫。
義太夫節。2代竹本政太夫(まさたゆう)の門弟で,宝暦7年京都で初舞台。江戸で活躍し,石町(こくちょう)住太夫とよばれた。住太夫風の浄瑠璃を創始,「長局」「志渡寺(しどうじ)」などで評判となった。文化7年3月19日死去。摂津住吉(大阪府)出身。姓は田中。通称は丸屋文蔵。

竹本住太夫(3代) たけもと-すみたゆう

?-1838* 江戸時代後期の浄瑠璃(じょうるり)太夫。
義太夫節。竹本播磨大掾(はりまのだいじょう)の弟子で,初名は富太夫。江戸では此母太夫を名のり,文政10年大坂で高麗太夫で出演,天保(てんぽう)2年(1831)3代を襲名した。天保8年12月16日死去。

竹本住太夫(6代) たけもと-すみたゆう

1886-1959 明治-昭和時代の浄瑠璃(じょうるり)太夫。
明治19年9月11日生まれ。義太夫節。3代竹本越路太夫(こしじだゆう)の門弟で,昭和16年6代を襲名。戦後三和会で活躍。世話物を得意とした。30年人間国宝。昭和34年1月15日死去。72歳。京都出身。本名は岸本吟一。

竹本住太夫(2代) たけもと-すみたゆう

?-? 江戸時代後期の浄瑠璃(じょうるり)太夫。
義太夫節。江戸の人。初代の門人。はじめ祖太夫と名のり,文化13年(1816)2代を襲名した。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「竹本住太夫」の意味・わかりやすい解説

竹本住太夫(4世)
たけもとすみたゆう[よんせい]

[生]文政12(1829)
[没]1889.1.22.
義太夫節の太夫。万延1 (1860) 年4世を襲名。文楽座から彦六座に移り,1884年紋下 (総座頭) となる。盲目。2世豊沢団平とともに彦六座の中心人物。

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367日誕生日大事典 「竹本住太夫」の解説

竹本 住太夫(6代目) (たけもと すみたゆう)

生年月日:1886年9月11日
明治時代-昭和時代の義太夫節太夫(文楽)
1959年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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