朝日日本歴史人物事典 「竹本長門太夫(3代)」の解説
竹本長門太夫(3代)
生年:寛政12.9.22(1800.11.8)
江戸後期の義太夫節の太夫。大坂の人。本名伝治郎。早くから浄瑠璃に親しみ,文政5(1822)年竹本菊太夫の名で淡路や紀州の人形座へ出演。帰坂後4代目竹本染太夫の門に入り竹本実太夫となる。6年文楽軒の芝居へ初出座の際,諸先輩から引き立てられて長門太夫の3代目を継ぐ。天保14(1843)年以降は長登太夫と改名した。文楽の芝居が西横堀清水町浜に移転中の安政2(1855)年紋下に就任。翌年劇場は旧地の博労町稲荷社内へ戻るので,そのときを起点として長登太夫を文楽座初代紋下とする。「ひらかな盛衰記」の「逆櫓の段」,「国性爺合戦」など,息の詰んだ力強い演目が得意だった。多数の門弟を育てて明治浄瑠璃界繁栄の基礎を築き,浄瑠璃中興の祖と称えられた。<参考文献>木谷蓬吟『文楽今昔譚』
(倉田喜弘)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報