竹本長門太夫(読み)たけもとながとだゆう[さんせい]

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「竹本長門太夫」の意味・わかりやすい解説

竹本長門太夫(3世)
たけもとながとだゆう[さんせい]

[生]寛政12 (1800). 大坂
[没]元治1 (1864)
義太夫節太夫本名伝治郎。大坂の生まれ。最初 4世竹本綱太夫の弟子となって竹本菊太夫を名のり,のちに 4世竹本染太夫に入門し,竹本実太夫を名のる。文政6(1823)年,文楽軒芝居に初出座の際,3世竹本長門太夫を襲名するが,天保14(1843)年以降は長登太夫と改名する。武道からチャリ(→ちゃり)にいたるまですべてをこなす名人で,安政2(1855)年に紋下櫓下)に就任,河堀の大師匠と呼ばれた。若き 2世豊沢団平相三味線に抜擢したほか,多くの弟子を育て,文楽座を明治以降の人形浄瑠璃界の主流となしただけでなく,近世から近代への変化にも耐えて存続し続ける礎をつくった。(→浄瑠璃文楽

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新撰 芸能人物事典 明治~平成 「竹本長門太夫」の解説

竹本 長門太夫(4代目)
タケモト ナガトダユウ


職業
人形浄瑠璃太夫

本名
樋口 吉兵衛

別名
初名=竹本 登茂夫,前名=竹本 実太夫(4代目)

生年月日
文化11年

出生地
大坂(大阪府)

経歴
3代目竹本長門太夫の甥。天保9(1838)年3代目長門太夫の門人となり登茂太夫と名乗る。のち安政6(1859)年4代目実太夫を襲名。明治10年文楽座の紋下。16年4代目長門太夫を襲名した。一方故実家としても知られ、「増補浄瑠璃大系図」(全22巻)を著した。

没年月日
明治23年 10月23日 (1890年)

出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「竹本長門太夫」の解説

竹本長門太夫(3代) たけもと-ながとだゆう

1800-1864 江戸時代後期の浄瑠璃(じょうるり)太夫。
寛政12年9月22日生まれ。義太夫節。4代竹本染太夫に師事し,菊太夫,実太夫をへて文政6年3代を襲名。安政2年より文楽座櫓下(やぐらした)。2代豊沢団平を相三味線として成功をおさめた。浄瑠璃を集大成し,中興の祖とされる。元治(げんじ)元年10月19日死去。65歳。大坂出身。本名は佐久間伝次郎。通称河堀口(こぼれくち)の長門。

竹本長門太夫(4代) たけもと-ながとだゆう

1814-1890 江戸後期-明治時代の浄瑠璃(じょうるり)太夫。
文化11年生まれ。3代竹本長門太夫の甥(おい)。義太夫節。前名は実太夫。明治11年文楽座の櫓下(やぐらした)となり,16年4代を襲名。浄瑠璃の故実研究にすぐれ,「増補浄瑠璃大系図」をあらわした。明治23年10月23日死去。77歳。大坂出身。長登太夫ともかく。通称は九軒の長門。

竹本長門太夫(初代) たけもと-ながとだゆう

?-? 江戸時代中期の浄瑠璃(じょうるり)太夫。
義太夫節。竹本大和掾(やまとのじょう)の門人。寛延元年(1748)「仮名手本忠臣蔵」初演のさい,東西太夫が入れかわり,竹本此太夫とかわって大坂竹本座へ初出演した。

竹本長門太夫(2代) たけもと-ながとだゆう

?-1820* 江戸時代中期-後期の浄瑠璃(じょうるり)太夫。
義太夫節。2代竹本内匠太夫(たくみだゆう)の弟子。文政2年12月2日死去。通称は長門屋。

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